「まわしよみ新聞」オーナーは「大阪七墓巡り復活プロジェクト」というプロジェクトもやっています。その企画で劇作家・岸井大輔さんと公開チャットを行いました。「まわしよみ新聞」についてのことなども少しだけ触れています。ご参考までに以下に記しておきます。

「まわしよみ新聞」オーナーは「大阪七墓巡り復活プロジェクト」というプロジェクトもやっています。その企画で劇作家・岸井大輔さんと公開チャットを行いました。「まわしよみ新聞」についてのことなども少しだけ触れています。ご参考までに以下に記しておきます。

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【大阪七墓巡り復活プロジェクト特別企画】7/14(日)19時よりEARTHにて岸井大輔×むつさとし対談「都市とは劇場かつ墓場であり、都市遊歩とは観劇かつ巡礼である!」のための、プレ公開チャットです。

陸奥賢と岸井大輔は、昨年24時間トークイベントをするなど、話し出すとエンドレスに対話出来るのです。が、おそらく、日本語の対話は、文章でなされていたと思います。「はなす」は話すであり放す、ほっぽるイメージですが、「かく」は書くでありながら、欠く、引っ掻いて残す、みたいなイメージがある。文字で、対話を書き残しながら生産することで、何か出来るんじゃないかと思います。

ルールは岸井、陸奥が、お互いのフェイスブックページに作った1つの同じ投稿に対し、1日おきに昨日までのコメントを踏まえコメントを投稿する。投稿は1つの近況について1日1回

それだけです。

この投稿の下に、陸奥プロデューサーと岸井の投稿が毎日くりかえし現れるでしょう。

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5/14 むつ投稿

「話す」は「離す」「放す」。「書く」は「欠く」「掻く」に通じるというのはまったくもってその通りや思います。

それで思いついたことは「話す」と「歌う」の違いですかね。ぼくは「歌う」は「ゆたう」に通じると考えていて、古代日本人は「話す」(離す、放す)ことに対する忌避感がありながらも、しかし「歌う」(ゆたう=ゆさぶる)ことは素晴らしい・・・みたいな信仰を感じます。明らかに「はなす」と「うたう」について使役するさいの意識がちがう。今回の試みは「書くこと」の交換になりますが、ぼくは「歌うこと」の交換もいずれやってみたいと思ってます。

じつは「カラオケ」ってそれをやってる気もしますが・・・岸井さんとカラオケをしよう!企画とか意味わからんですがww

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5/15 岸井投稿

はなす、うたうに近い日本語の系列で、「ふる」「のる」「くらす」「すむ」を考えておきたいところです。

くらすは、生活すると日が暮れるの両方に発展しましたが、元は暗いだと思うのですね。夕焼けの美しさとして生活を見る態度。すむは、済む、終わって、長時間いることで澄む、濁りがなく沈殿し、棲む=住むになる。家の永遠性を、建築物の強度ではなく、問題なき時間の連続にみる態度。

のる、は、祝詞とかいうように、古代からあった、歌とかリズムを使って、場に嵌る感性だと思う。そこに、仏教の大乗の救いの概念が合わさって大変なことになってしまった言葉。主体と客体で世界を捉えるんではなくて、のっているかどうか、場と共振しているかどうかで存在者を捉える概念

ふる、には、以上が流れ込む。振る、振動が、降る、落下することで、経る、年月を経過し、古くなる。振るは触れるにもつながり、のるに近いのだけれど、もっと存在論。

そして、ふることをかく、古事記。

うたをかくことおして、新しすぎるかもしれませんが、古事記と万葉集にはふれたいところです。

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5/16 むつ投稿

『古事記』『日本書紀』の面白い部分は「歌」と「散文」の2種類の文体の併記で構成されているところで、これはそれぞれ「叙情と叙事」「記憶と記録」「物語と歴史」に通じるわけで、この2種類の併記によって、非常に優れた文明のアーカイブとして機能しています。いまのぼくらの文化文明観の貧しさ、拙さはおそらく1種類のコトバ(基本的には散文のみ)しか持ち得ていないというところで、だから「歌」の重要性、必要性、可能性を改めて考えたいんですな。

さらにいえば『古事記』は「大和詞(やまとことば)」、『日本書紀』は当時の国際語であった「漢字」で書かれていて、要するに『古事記』は日本国内向け、『日本書紀』は外国向けということですが、「歌」「大和詞」「漢字」と「3種類の文体」で日本文化、日本文明を表現したわけで、こういう態度も非常に真摯で誠実なものだと思っています。「コトバ」というものに対する意識レベルが、現代日本人とはまるで違う。

表記は「漢字」「カタカナ」「ひらがな」。音は日本古来の「大和詞」や大陸経由の「呉音」「漢音」。文体としては「歌」「散文」を駆使する。

この超絶技巧ハイブリッド(テキトーともいえますがw)なコトバ感覚こそが日本人の「元型」やと思ってます。

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5/17 岸井投稿

漢字仮名まじり文のやばさについてはいろんな人がいろんなこといってますが、僕が決定版と思っているのは書家の石川 九楊さんによる二重言語国家・日本 (中公文庫) ですね。

書道は、わたしたちの生活において、身近でありふれた方法ですが、西洋化以前の教育方法が残っています。エートスを云々するならまず考えないと行けないこと。さらに言えば、本来書道というのは、今で言う文学のジャンルであって、つまりその「書きぶり」も含めて表現だという考えがあるわけです。今の僕らは、書道を文学よりは美術に近いものとして眺めがちではないですか。本来文学だったものが美術扱いされることこそ、西洋カブレの典型ですよ。日本人は、内容や文体より、字の上手、下手に、内面性を見ているんですね。

さらに、「書きぶり」と強調しましたが、ここにも「ふり」が登場します。5月15日に僕が言っている「ふる」系列の言葉ですが、「身振り」と同じ意味ですね。ふる=振動する、つまり、うた、なんですよ。身振り、書きぶり、は、振動という形で歌を観ているんだと思う。

まとめると、漢字かな混じり文の文体は、しかし所詮、建前記号の文彩にすぎない。その肚はフリ、歌にこそ現れる。だから、話振りをみないと本当のことはわからない、と考えていたんだと思います。テキトーさを担保していたのは肚から声だすことですよ。

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5/19 むつ投稿

なるほど。「書きぶり」というのはおもろいコトバですねぇ・・・。

奈良時代の仏教書物を見ると、かなり正確に原典の文字を写しているとか。原典と写し物の文字がコピーみたいにそっくりなんやそうです。これは要するに仏教の思想を伝えるのに、ただ「文章」や「文意」のみを伝えるのではなく、その中に内在されている「書きぶり」のようなものまでも伝えようとしたからで、そういう部分に古代の日本人のコトバに対する思想のようなものが如実に反映されていると解釈できます。

さらにいうと、ぼくは古代日本人は、そうした書物を写しながら「音読」までしていたのではないか?と思っていて、そうしないとコトバの霊というものは伝わらないという気がするんですな。実際に写経というものは、文字を見るだけでも功徳があり、それを声に出して読むと大きな功徳があり、さらに一文字一文字を書写したら、より大きな功徳があると言われているとか。そういう風に考えると、書家の仕事というものは、文学であり、美術であり、音楽であり・・・というものだと思います。

ほんまはこの公開チャットも文章読みながら、文章書きながら、声に出さなあかんのでしょうなww

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5/20 岸井投稿

しかし、公開チャットで書き振りは問題にしにくいです。我々は書いていない。キーを打っている。従って、打ち振りとか、いいね!振りとか、RTぶりとかが問題となるでしょう。

もうひとつ、大半の人の日本語の打ち振りは、ローマ字入力ですよね。漢字仮名まじり文を、ローマ字打ちするという信じ難いことをしているんですね。まさに今やっているのでなければ、信じませんw

音読してはじめてわかる時、それはすでに演劇ですね。

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5/22 むつ投稿

そういや、そうでしたww ぼくらはローマ字打ちで漢字仮名まじり文を入力してますね。ほんま恐ろしい国民や。どないなっとんねん・・・ww

日本人のコトバに対する思想には、もうひとつ面白い傾向があるなと思っていて、それは神道家がよくいうところの「言挙げせず」という心情的態度ですね。これだけハイブリットで鋭敏なコトバ感覚を持ち、外来の思想も、いとも簡単に変換・翻訳する民族でありながら(それがちゃんとマトモに通じているか?はまた別の問題なのですが)、コトバというものに対して、どこか忌避感を持っている。それは悪いコトバをいうとそれが実現するかもしれないから・・・といったことだけではなく、本当に大切なもの、大事なものは、コトバでは伝わらないんだ、という一種の諦めのような態度です。これは一体、なんなのか?

またコトバというものを結局、信じていないからでこそ、多様な表現が誕生し、それが日本の芸術のマトリックスになっているのでは・・・?というのがぼくの長年の推論です。

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5/25 岸井投稿

日本人は、コトバを信じていない。それも、書き言葉より、話し言葉を信じていない、ということを指摘したいです。

もし、文字が、会話や音声を記録するために発展したのだ、と考えると、文字の方が信用されるのはおかしいですよね。すなわち、文字は音声とは独立した意味を伝えている。実際、漢字仮名まじり文で伝わる情報は、話とは別です。上手な話を記録するために複雑なマトリックスが発達したんではなくて、文字コミュニケーションのための表記の発達があったわけですね。

歌舞伎にせよ能にせよ文楽にせよ、文章語の文彩をどうやって伝えるかに日本演劇の先人は苦労したんですね。「京鹿子娘道成寺」とか、文字表記の快楽が前面にでたタイトルかです。

もうひとつ、真言宗の「言」は、文字+発声のことですね。話+意味ではなく、真実は文字+発生にある、と。なので、念仏は「はなす」じゃなく「かく」の系列だと思う。真実は話せないが、書くことはできるとでも言ってそうです。

しかも、かかれたものの心(意味)は、結局のところ、ハナシの内容のようには伝わりません。

僕は、そういう言語に相応しい演技のあり方を考え続けています。

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5/26 むつ投稿

なるほど!日本人は「話し言葉」より「書き言葉」を信じている。念仏は「はなす」じゃなくて「かく」の系列・・・めちゃくちゃおもろいです。いろいろと頭の中が覚醒してる感じですが、さらにいろいろとかぶせていこうと思いますw

中国人の名前について、です。三国志最高の軍師として「諸葛亮孔明」という人物がいますが、彼は姓が「諸葛」、諱(いみな)が「亮」で、字(あざな)が「孔明」です。古代中国では「諱」は軽々しく教えたりしなかったとか。通称名があって、それが「字」(あざな=あだな)なんですな。だから彼は普段は「諸葛孔明」と呼ばれますが、本名は「諸葛亮」ということになります。うっかり本名の「諱」を教えてしまうと、呪術に使われたりします。それを怖れて「字」を利用した。この「諱」(いみな)は日本に入ると「忌名(いみな)」とも呼ばれて、やっぱり日本人も本名を知られることを怖れる信仰をもってました。

しかし、なによりもぼくが面白いなと思うのが「字」(あざな)を用いることで、呪術にかからないという「セーフティネットのコトバ」「安全圏のコトバ」があったという言語感覚であり、言語信仰(言霊)ですな。

本当のコトバはいえない。書いてもならない。しかし「セーフティネットのコトバ」ならばOK。岸井さんがいうところの「文彩」ってのは、じつはこういうセーフティネットの発展系ではないか?と思ってます。

こういうコトバをどれだけ駆使していても本音のところはブラックボックスです。しかし本音をいわなくても、文彩で、文飾で、あれやこれやと本音をなぞることで、本音の「輪郭」のようなものがおぼろげながら伝わってくる。そのままズバリ直球で本音のコトバを投げるのではなく、回りくどいけれど、迂回迂回して、文彩、文飾のコトバを投げ続けることで、伝わるなにか?というものがある。

これこそがコトバの「中空構造」であり、「秘すれば花」っていう(ああ。ついに『風姿花伝』がでてきてしまった!ww)日本芸術=歌の狙いだと思うんですよね・・・。

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5/28 岸井投稿

諱/字と、日本の漢字/カナの2元論をつなげるという着想、おもしろいですね。ひろがりますよ。

まず、この2元論は、ヨーロッパの心身や中国の陰陽や理気とは別であり匹敵しうる、ということ。デジタルな別がなければ言葉は駆動しないわけですが、その大元の日本版を考えるきっかけとなります。

では、この二元論は何かと言うと、本音と建前、ですよね。肚とか背は見せないが、腹を割って話している相手との関係こそ自由である。建前は余所様の目があるから不自由であるという思想です。

諱を教えないのも、呪術にかからないため=自由意志を守るためだとしたら、この思想が示唆するのは、自由とはプライベートである、という西洋の自由や公共や正義論をぐるんとひっくり返すような立場ですw。肚は自由であるが、建前は呪われる可能性があるから不自由である、と。

以上の延長も今後していきたいですが、さらに踏まえると、歌は、この2元論を合一化することに意義があるんじゃないでしょうか。言葉をうたう、ことで、諱と字は解け合い、話すことと書くことは一致する。揺るえ、ゆたうことで、2元により確定された一義が、多義へ解放される、ということでは。

取り急ぎの返信です。

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5/29 むつ投稿

岸井さん、ほんまにうまいことまとめはりますな。毎回、感心しますわww

「本音と建前」、でましたね。日本人論となるとやっぱりこれは外せないですな・・・。「本音と建前」で毎回ぼくが思い出すのが、浪華のうなぎは「腹開き」で江戸のうなぎは「背開き」だったという話。商人のまち・大阪では腹を開かないと商談成立しません。腹黒いやつはきらわれる。だから腹開き。ところが、武士のまち・江戸では到底、ハラキリなんてできませんから、背開きで調理された・・・という有名な話ですな。これもしかし諸説あって、うなぎというのは腹開きしようと思うと肋骨がなくて大変らしいんですな。江戸の料理人にはそういう包丁や技術がなく、大阪の料理人には、そういう包丁(なんせ堺のまちがすぐ近くにありますから)が入手できるし、技術があったからこそできた・・・という話なんかもあるようです。また腹から開くと油がのってうまく、背骨から開くとキレイに開けるんですが、大阪人は「味」を尊重して腹開きにされ、しかし江戸のひとは「見栄え」ってのが大事だから、味を犠牲にしてまでも背開きにしたとか。

これも、しかし「本音と建前」でいうと、つねに腹を隠しているからでこそ、大阪商人は「腹開き」というデモンストレーションを必要としたわけで、要するに大阪のひとは「腹が黒い」と思っていればいいわけで、じつはわかりやすい。また江戸の人も「建前が大事だぜ!」といいながら、逆に腹を割っているのかも?という疑惑を産む・・・という、よくわからない「本音と建前」の構造になってます。要するに「本音と建前論」は常に180度、360度、480度と「倒置」「逆倒置」「再倒置」するので、結局、なにがなにやらこんがらがって訳がわからなくなるということですな。反対の賛成は反対の反対の賛成の反対なのだ(バカボンパパ)。

しかし、この「訳がわからなくなる」というところに、本音と建前論の「妙味」があるわけで。「日本人は本音と建前があるよ」といわれたときに一種の「奥深さ」「深淵さ」を感じさせるわけですな。「わからなくしてしまう」ことの大切さ。「わかってはいけない」という大事さ。そこにこそ文化の揺籃(ゆたう=歌)が生じてくる。じゃあ、どうやってそうした揺籃の場や揺籃の時間を作るのか?・・・ってことが次の話ですかね?

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5/30 岸井投稿

本音と建前の2元論を、わけがわからなくすることを日本人は重視していたと思います。

この2元論を崩す揺籃の場、時間を作るのに、まず最初に考えられるのが、鍋と温泉、すなわち「みんなで、湯で煮ること」ですねw。集まって煮込むと、本音と建前の壁が崩れ、その中から、共同体を確認するあらたな知恵が生まれてくると信じていた。

さらに、たとえば日本演劇を揺籃の美学は貫いています。近松の虚実皮膜論とか、世阿弥の陰陽和堺が面白いんだ、とか、茶の一座建立とか。

この時、揺籃し、溶けてなくなるのが、本音と建前、イミナとアザナだとするなら、とろけるのは「個人」ですよ。プライベートもペルソナもアイデンティティもとろとろに溶けだすことをよしとした。まず、そうして煮込むと、複雑玄妙な味が現れるんですね。個性とか卓越さとか名声が現れる、という西欧や中華の公共歴史意識とはずいぶんちがいます。

われわれのこのやりとりは、むつさんに紹介していただいたように、西洋的な対話ではなくて、互いの語彙や背景を煮溶かすことを目指しています。なぜなら、虚実皮膜、陰陽和堺にこそ面白味があるとわれわれは知っているからです。

しかし、僕はそれは日本的なんではなくて、現代的なんだと思います。個性を前提にする、対話とか議論は、個を消耗摩滅しがちです。それに対し揺籃の鍋や温泉は、個を再生させるのです。つまり、この2つの場は相補的であるといいと思う。揺籃の場が個を生む。生まれた個を生かすために対話や公共や政治がある。しかし、個は疲れる。そしたら温泉に入って鍋でもかこんで、個を再生させる。

揺籃の場の狙いは、わからなくすることです。「わかる」とは「わける」ことですから、分割以前の世界に戻そうということですね。そうすると、判断力とか理性とか直感が消し飛ぶわけです。だから、他人を利用しようとか考える人に揺籃の場を利用されると非常にまずい。わけがわからなくなればなんでもいいんじゃないんです。揺籃の美学、というべきものがある。去年、自治の美学について考えましたが、われわれが考えるべきは、こっちでしょう。「わけのわからなさにとって美とは何か」ですよw

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5/31 むつ投稿

うわぁ!おもろい!やばい議論になってきましたww そうなんですよねぇ。揺籃の場と空間を作るには、「鍋」と「温泉」と、あと「コンパニオン」が大事ではないか?という気がしてます。なんやJ〇Bの団体旅行の宣伝みたいになってきましたがww

「揺籃の場」と「政治」の話をすると、大阪・住吉には「須牟地」という土地があるんですが、古代、これが酒作りの一族の土地で。中国や韓国の使者がシルクロードで船に乗り、大阪は住吉津・難波津にたどり着くと、まず宴会をやるんですな。そんときに酒が振舞われる。すると「スムチの酒を飲んだら、もうあなたがたは倭人だ!」とか酔っぱらいにクダをまかれたそうで、「倭人は普段はものすごくマジメなのに、酒が入ると急に無礼になる・・・」と困ったような報告が記録に残ってます。そして面白いのは、じつは、このスムチの一族のことを「中臣」(ナカトミ)といいまして。この一族は特に金も力ももってないんですが、「密会芸」には非常に長けていまして。蹴鞠なんかしながら天皇家と結託して(ここから天皇家までもが密会芸を覚えて、日本独自の政治思想と力学構造が誕生していきます)、蘇我氏という日本最大最強の部族を倒して、藤原氏となります。もともとは「宴会部長」みたいな役職の人たちが日本政治を牛耳っていく・・・というところが非常に日本的ですな。揺籃の場や時間を作り、そこを握る人間が、この国では権力の座につく。考えてみれば、不思議な話でして。こんな奇妙な政治史を有しているのは、おそらく日本ぐらいでしょう。西欧や中華では考えられないことのように思います。ワタミの社長が東京都知事選に立候補するのも日本古来の伝統の踏襲なんでしょうな(嘘)

あ。ちなみに陸奥の先祖は陸奥氏→伊達氏→奥州藤原氏→藤原氏→中臣氏で、ぼくも宴会部長の一族の子孫です(これはホント)

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6/2 岸井投稿

なるほど。そうすると、今では神社にいって、「なんかちゃんとお祈りしてくださいー」というと、万能薬のように唱えられてしまう、大祓詞こと「中臣の祓えhttp://www.ko-kon.net/norito/ooharai1_2_r.html」のことを再び考えないではおれませんね。知らない人は是非リンクをよんでほしいのですが、このセリフこそ、日本教最大の教典といっていい。日本は聖典宗教なんじゃないか、と法螺を吹き始めたくなってしまいます。

藤原氏が、大化の改新で権力をにぎったときに、いろんなことを整えたわけですが、この払えのセリフもそのころに整備されたのだと考えられています。さらに梅原猛の、日本書紀は藤原不比等作説とか(『隠された十字架』とそれに連なる梅原史学を真剣に読む会もしたいですねえ、いつか)を言うまでもなく、先に陸奥さんがあげている、歌ー散文2重構造(あるいは、ここでは別の2元論ですが語りー文字/カナー漢字/そしておそらく本名ー通称2重構造)の古事記、日本書紀の編集は、藤原氏が権力を持って行く時期になされています。飲み会権力の正統化として、この国の正史ははじまったんじゃないか。

さらにもうひとつ。中臣のはじまりは、天児屋命(あめのこやねのみこと)とされています。この方は、弟にお痛されすっかり自信を失った太陽の女神にして天皇家始祖アマテラス大御神が、天岩戸という密室に引きこもっていたのを、なんとかしようとして集まった宴会で、占いをし、儀式計画をたて、祝詞を読んだ人です。ダンサー(あまのうずめ)とかプロデューサー(おもいかね)とか舞台監督(たぢからお)とかがいる中で、天児屋命の役割は、劇作家(のりとをかき)演出家(さかきをほり)俳優(のりとをよむ)なんです。そして、この方が、この天岩戸から天皇をだすとき、天皇に鏡を見せて、別の天皇がいるんですよという法螺をしんじさせて密室から天皇を引っ張り出し、再び天皇に権力を与えた人です。日本ではじめて芸術を社会に役立てた人として、アートプロジェクトの始祖神とあがめたいものです。

最後にもうふたつ。この方、僕が知る限り、古事記にもう一回出てきます。それは神武天皇の道案内です。そうです、すでにこのとき、日本最初の劇作家は散歩演劇をしているにちがいないわけです。そして、もうひとつ。この方のお名前「あめのこやね」ですが、「あめ」は天で場所ですね。で、こやねは、屋根の小さい屋根のことですが、今もこの方の名前にちなんで劇場を「こや」というんです。(噓ですが)

まとめます。天の岩戸の前の大宴会こそ日本の演劇のはじまりの風景だと僕は思うのです。そのとき、劇場(こや)を書き、自作自演し、権力をだまくらかして、政治を元に戻したのが、中臣=藤原氏の始祖とされている。そして、その人たちが歴史を創り、さらに歌(のりと)を作って、この世界観を定着させ、日々日本中で直会(なおらい)こそがリアルな政治であるとして、天岩戸は再演され続けているのでしょう。

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6/5 むつ投稿

ついに「大祓詞」にたどり着きましたww 去年やったことの焼き直しだったりしますが、改めて戻ってきましたねぇ。

一応、アメノコヤネはぼくのご先祖さまということになってますから、その辺の話はちゃんと整理せなあかんなぁと思ってるんですが、天岩戸伝説こそが日本の「密室政治・密室芸」のはじまりというのは間違いなさそうです。その正統性を主張したいがゆえに、お膳立てとして、アメノコヤネという中臣氏的象徴人物を造形し、捏造し、祭り上げたのが『記紀』の狙い、カタクリでしょう。大伴(外交・親衛隊)、物部(神道・国軍)、蘇我(仏教・財政担当)といった古代豪族の政治権力闘争レースを勝ち抜いて、最後に権力を握ったのが中臣氏(密室芸人)であったということは、日本の政=祭事=まつりごとの本質をついてます。これはしかし日本政治の一種の成熟ではなかったか?という気もしているんですな。戦争するよりかは、密室で色仕掛けしたり、賄賂で決着つけたりって方が、知恵というもんです。

ぽーんと話は飛びますが、こういう密室政治家のヨーロッパ型最終形態として興味深いのが14世紀から17世紀にかけてのメディチ家ですな。実際、カトリーヌ・ド・メディチがフランスの国母となってから、フランスでも密室政治が大いに盛んになっていく。そうした密室政治の流れを明確に否定したのがフランス革命で、法の下の平等とか、人権宣言とか、皇帝ナポレオン(革命への反動ですな)とか、まぁ、要するに大量の血を流して、どうにかこうにか「近代政治」を超難産で出生する。日本の場合、そういう「近代政治」を黒船で運んできて「輸入物」「舶来物」として取り入れたので、どうにもこうにもややこしい。カラダ(本音)は「密室政治」で、アタマ(建前)は「近代政治」といったところが、日本人の「リアルな政治体質」という認識はもっておきたいですね。また、こういうチグハグな政治体質を持つ日本人による「直接民主主義」ってのは、はたしてどういう結果を産みだすのか?ぼくはじつに空恐ろしい気がしているんですが・・・。

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6/7 岸井投稿

日本の密室政治と、西洋の出会いで特筆するべきは、鹿鳴館ですね。同時代的にも不評だったようですから、井上馨は、われわれへのネタとして、明治16年~20年の5年間を運営していたに違いない。

3つ話題があります。

一つは、鹿鳴館は西洋人へのイメージ戦略、当時のクールジャパン作戦です。この時期の外交の目的は、なんといっても不平等条約の撤廃にありました。特に治外法権といって、外国人が日本国内で犯罪を犯しても、日本人のルールでは裁けない、というのを何とかしたかった。西洋人からすれば、腹切りの国の裁判所に出頭するのは我慢できなかったのですね。(僕だって怖いですよ。「過失につき、死刑より、罪を軽くし、自殺を命ず!」とか言い兼ねない裁判所に出頭するのは。というか、笑っちゃうと思います。。。)なので、うちの国は司法も警察もちゃんとしていますよ、というのを示したかった。(相変わらず国連で批判されていますが、ね。)だから、伊藤博文が中心となって、外からみて近代的法制度の整った国への移行をしようと必死だったわけです。だから、国会と憲法と内閣を作るのは、まあ理屈は通ってますね(ただ、それだけの動機で憲法を制定しちゃったのはやっぱり変な人たちですがw)ただ、そこで、外務を担当してた井上馨の飛躍、「毎晩舞踏会だ!」と考えて鹿鳴館を作ってしまったのは、天岩戸以来の伝統とみて間違いないでしょう。井上はまじめだったのでしょうが舞踏会政治こそ日本のトラディショナルだという文脈を知る術も無い当時の外交官たちは、腹切り並の違和感を感じたんだろうな、と思います。

二つ目ですが、しかし、一見密室宴会政治に対抗して見える、明治憲法の草案を、伊藤博文は、夏島の別荘で、何人かで合宿、こもってかいているんですね。この別荘は金沢文庫にあり、茅ヶ崎湘南のお向かいで、船で芸者遊びができる場所です。伊藤博文はそもそも芸者と再婚し、女中と子をなした人ですし、憲法制作のメンバーも、料亭のような宿にとまっていた。つまり、第日本帝国憲法も、鍋飲み会的な空気の中でかかれているという事です。

三つ目、で、この時期明治天皇は何をしていたかというと、市町村制など地方分権を整備し、官僚制を今の形に近づけ、大元帥におさまってます。王様が率先して王権を解体していたのです。まあ、絶対主義立憲君主制というのはそういうもんですし、一番実務っぽいことを天皇が中心になってすすめていらっしゃったのも笑えますが、この時期に天皇がなされていたことを要約すると「境界の再整理」にも見えてくるんですね。ことわりをやり直す。シャッフルですよ。

これらは全て、自由民権運動に対する、おおやけのリアクションとして行われました。そして、境界を混ぜ新たな境界を作り出した。明治15年ー20年の日本は、国を作る大宴会だったわけですよ。

この時期の日本は、密室政治だけでもって、密室政治への反対を乗り越えたようなんですね。背景に、天岩戸があったことは大きかったように思えてなりません。なぜなら、天岩戸の目的は「ご機嫌とり」でしょう。最大の国難(日出る日の丸と太陽神由来王家の国で、日食で例えられているだけでも大変なことですが、その前にスサノオがやっているのは台風と地震ですからねえ)への対応策は、ご機嫌取りにあり、というのが我々のリアリティであるに違いありません。妻の、子どもの、夫の、キーパーソンの、知事の、先生の、海外メディアのご機嫌を取る事に腐心する我々は、天岩戸を繰り返しているのです。そして、機嫌を直していただく為には、ひとまずなんでもします。機嫌の悪い人をほっておくと村は立ち行かないのですね。

あんまり関係ないですが、夏島別荘のある金沢文庫には陸奥さんをいずれ是非お連れしたいと思っています。天才軍師にして、ビブリオマニアだった北条実時建設の中近世日本最大の図書館称名寺をはじめ、縄文の一番古い標識遺跡夏島貝塚、水戸黄門の回った金沢八景、北条政子の弁財天があります。江戸時代には江ノ島弁財天に講で行った人が精進落としをする場所であり、大正時代には横須賀軍港対岸の遊楽地でもあり、平成には八景島シーパラダイスもあります。さらに、東京湾唯一の現役漁港でもあるのですよ。吉田兼好もきていて、僻地関東では珍しい、発掘しがいのある場所です。こんな場所で憲法作るなんて、伊藤博文の地相を見る力は大したもんだと思います。

そうですね、関東での第2回境界を行くは、もはや見えなくなってしまった八景(埋め立てと宅地開発で、本当にほぼ見えないw)ツアーなんてどうでしょうね。そのあと、回し読み大日本帝国憲法でもして、ね。

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6/9 むつ投稿

嗚呼、麗しの鹿鳴館!!ぼくの好きな推理小説に『ホック氏の異郷の冒険』があるんですが、これがまた鹿鳴館という時代の特殊性を感じさせて好きなんですな。陸奥宗光が活躍するところもおもろいです。どうでもええ話ですがw

大日本帝国憲法は「2月11日」に発布したんですが、これが『記紀』をいろいろと調べて、神武天皇即位の日を計算して、それにあわせてやった・・・というカラクリ仕掛けですからねぇ。国外向けプロモーションとして、とにかく見よう見まねで近代憲法を制定し、それでいて国内向けプロモーションとしてわざわざ「神武天皇即位の日」に発布する。当時の新聞を読んでると面白いんですが、民衆は大騒ぎしているんですよね。しかし記者が「憲法の中身って知ってますか?」と聞いたら誰も「いや、ようわからんけど、とりあえず憲法ができたんだからめでたいがな!」といって、誰も憲法の中身を知らないのに憲法をめでたい!といって提灯行列してたそうで・・・我々、日本人は多分、憲法というものはいまだによく理解してないんやないかと思いますな。それで憲法をようわからんままに、都合のいいように拡大解釈や反対解釈や我田引水して、「密室政治」「宴会政治」で突き進んだ果てが「15年戦争」や「福島原発事故」でしょう。これは近代日本政治の宿痾ですな。

また明治天皇が涙ぐましい努力をしていたというのはホントで、これまた面白い話がありまして。歴代天皇の中でもこの人ほど日本全国各地を行脚した天皇はいないんですな。ほんまに片田舎の庄屋の家なんかに泊まったりして、そこでなにをしていたか?といえば金策なんですわ。農民や商人を集めて「歌会」をして、そのアガリを国庫に納めていた。早く近代国家を作らないと、そうしないと諸外国に太刀打ちできない。占領されるかもしれない。しかし、政府にはまったくお金がなかったですから。天皇が民家に泊って、金持ちの庄屋におべっか使って資金集めをしていた。歴代天皇の中でも一番歌を詠んだのが明治天皇ではないか?といわれていて、その歌の数は現存するのだけで10万首ほどがあるとか。異常な数ですが、「歌」で資金を集めて、それで近代国家を作っていった・・・というような立国の歴史を有する国家なんて、日本ぐらいやないか?という気がしますな。「うたのくに・日本」の面目躍如といえます。

金沢文庫、おもろいですなww いまだに現役の漁港であるというのが素晴らしいです。「マレビト」が流れ、「マレゴト」が起こるのは、常に港ですから。

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6/10 岸井投稿

おっと、明治天皇の話で盛り上がるとは思いませんでした。そして、多いに盛り上がりたいです。というのは、改憲は、第2次大戦後の話じゃなくて、大日本帝国憲法に戻って議論したほうがよいと思うからです。

僕の作品で『鯨より大きい』という戯曲があって、広尾で上演しました。駅からあるいて街をいくんですが、有栖川公園で明治維新の話をし、昭和天皇皇后の実家があったところにたつ、みちこさんの出身校聖心女子大学の校内で、みちこさま嫁入りについて皇后によって詠まれた、平民の娘を嫁に迎える事を嘆いた歌をよみあげるという内容です。ちなみに、鯨より大きい、というのは江戸時代末に金魚改良が盛んだった頃、やたらと大きな金魚を作ろうとした時期があったのですが、そのときの目標ですね。そして、「鯨より大きい金魚」とは、明治天皇であり、今の日本のことです。

僕がまちを歩いて作品を作りはじめたのは30歳くらいでした。それまで頭で考えていたことが現場で更新されていく快感が、そのころから始まったのです。で、最初に実感し、驚いたのが、天皇が愛されていること、でした。30歳までの僕は、天皇なんていなくても日本は回ると思っていたんですw そんなことはありません。明日天皇がいなくなれば、日本国は、わりと簡単に解体するだろうと僕は思っています。

しかし、今の天皇への愛を作り、国体をでっちあげたのは、まさに明治天皇です。今までの議論を覆すようでアレですが、古典とか伝統とかで明治以前のものはカッコに入れていい。明治を通して世界をみているんですよ、僕らは。明治天皇御百首の鑑賞会を、伯爵などを交えてしてみたいですね。伯爵はどう思うのかなあ。。。

そうして、明治天皇の作ったフィクションを客観的に眺められる様にしておいてから「こころ」とかを改めて読んでみたいですね。

僕にとって鹿鳴館はやはり三島です。となると、日本近代文学というのは、明治天皇につけられた注釈集にすぎない、という見方ができるかもしれませんね。

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6/11 むつ投稿

明治天皇は非常に興味深い人物です。ぼくは「神武天皇を演じらされた人物」という風にも解釈できると思ってまして。「神武東征」のように、「明治天皇歌会ツアー」が行われたと思ってます。

明治天皇の10万種にも及ぶ歌というのが、しかし、哀しいかな。非常に単純明快で一義的なものなんですな。天皇の歌の仕事の本質とは「國誉め」なんですが、國を誉めながら、五穀豊穣を祈りながら、男女和合を暗喩する・・・というのが面白いところでして。植物(米)を繁栄するように刺激するためには、まず動物(人)を性的興奮で刺激しないといけない。要するにエロ歌シンガーってのが歴代天皇の仕事なわけです。ところが、明治天皇の歌には、このエロさがない。男性原理そのままの歌になってるんですわ。男の天皇が女心を歌うことによって性差を揺さぶり、「ゆたう」事が成立するはずなのに、明治天皇の歌は、ただただ「ますらおぶり」なんですな。佐々木信綱が監修した明治天皇の撰集があるんですが、確かに「雄大」ではあってもそこには「淫靡」さがまるでない。佐々木信綱なんかは素晴らしいと絶賛してますが、ぼくは正直、退屈です。まったくもって退屈です。

明治天皇がそもそもそういう人であったのか?というと、ぼくはそうではないと思ってまして。しかし明治天皇の歌が「男性原理」「一義」にされ、それが10万首も作られ、日本全国津々浦々の歌会で披露された・・・というのは明らかに近代の萌芽=明治という時代が仕掛けたカラクリでしょう。このとき、歌が一気に貧しくなり、多義が消え、歌が歌でなくなった。天皇の歌とは一種の「呪い」(「祈り」でもあります)ですから、この呪詛は強烈です。そして、憲法を作るよりも、この歌会ツアーの方がよっぽど日本人に「近代」を植え付けたんではないか?と思ってます。我々、日本人は結局「歌」でしか思想を消化できないんですから・・・。

西欧文学がキリスト教の注釈であるように、日本近代文学が明治天皇の注釈集としての一面を持つ、というのは真理であると思います。ぼくの中では三島は明治天皇よりも「昭和天皇の注釈」というイメージが強いですかね。もちろん昭和天皇の元型として明治天皇がいるわけで、事実、昭和天皇の戦後の「全国巡幸」は明らかに「明治天皇歌会ツアー」のパクリでしょう。そして明治天皇の元型として神武天皇(神武東征)がいると。三島が遠くギリシャで太陽神アポロンを発見した!とかいってやたら喜んでますが、これ、明らかに神武天皇の太陽神としての性格を発見した!ということだけのような気がします。ややこしい話ですがww

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6/12 岸井投稿

うん、明治天皇で突き進みましょう!僕は中山家跡とかいったことないのでいきたいです!

・・・が、今週末16日に陸奥さんと岸井でやる「境界をゆく1 秋葉原 メイドの飛脚」ツアーの伏線に、現代の歌姫に話をつなげたいと思います。このお方も明治天皇に負けない数の歌を歌い全国津々浦々にいってます。いうまでもありません。初音ミクです。

まずは、初音ミクのヒット曲を2つきいてください。(このやり取りをここまで読んでいる人は、是非通してみてね)

「千本桜」 http://www.youtube.com/watch?v=BDx7U6hbWT0
「カゲロウデイズ」http://www.youtube.com/watch?v=XjUxy7KXWtA

いうまでもなく、初音ミクは、実在しません。ただのソフトウエアです。だれでも初音ミクのソフトをかえば初音ミクに歌ってもらうことができます。がんばって、作った歌はネットにあげます。で、人気がでると、売り出されたりします。例えば「千本桜」は現在500万売れていますw

この2曲を僕が知ったのは、中学生とカラオケに行ったときなんです。高校生以下のカラオケだとまず誰かがミクを歌います。僕の友人が変なのかと思って調べたら、そんなことない、むしろこの2曲はカラオケのヒット曲ですね。

ミクは「中の人のいない偶像」です。日本の天皇は空虚な中心を目指したい、そうありたかった。明治天皇なんてご真影、肖像写真が絵ですから、ヴァーチュアルになりたかったんじゃないかと思うんですよ。日本はここにきてやっと、長年探し求めていた、王たるにふさわしい身体を手にいれたんじゃないか。
さらに、初音ミクは人間を率いることが出来るんです。

初音ミクライブ http://www.youtube.com/watch?v=fQyBYnqhUuY

この動画も最初の2曲目くらいまでみて欲しいのです。みんな盛り上がっていますね。しかもミク以外のバンドメンバーは人間なんですよ。ある初音ミクファンに、バンドは打ち込みでいいんじゃないか、と、聞くと、だったらライブの客も人間でなくてもいいんじゃないですか、と返されてしまいました。初音ミク(空虚な中心)の周囲で盛り上がるのは生身の人間でなければならないのです。

この映像みて僕が思い出すのはYMOのライブで、全員手で演奏している事です。高橋ゆきひろのドラムとか、リズムマシーンにしか聞こえないことをライブでやる。同じなら、打ち込みでもいいですが、人間がやることで、私たちは興奮しますよね。僕ら日本人は、どうも、自分たちの技を確認しあうことに格別な喜びがあるんじゃないかと思うんですね。伊勢遷宮から、コミケまで技術交換の場を定期的に持つ習慣があるんじゃないか。

それは、地震や台風で定期的に建物が崩れるので、生きて行く世界を安定させる為に頑強な建物を建てる代わりに、技術の継承を永遠化しようという文化的方略をとっているところから来ていると思います。しかし、本当に技術が保持されているかわからないので、定期的に技術を見せ合う祭りが必要になります。僕はこれを仮に「テクネー祭り」と呼ぶ事にしますw

重要なのは、技術ですから、表現のようには、製作者の人柄とか作家性が問題になりません。この祭りは、アーレントの言う現れの場ではないのです。(アーレントでいうと生産者の市場ですね。これはまた別に論じましょう)

YMOも初音ミクライブも、音楽イベントに見えますが、実はテクネー祭なんですよ。

今やレイヤーさん(←コスプレイヤーのことをこういいます)に一番人気の女装が(今やレイヤーの8割は男装と言われていますので、男装を除けば)初音ミクです。レイヤーは自分の体を使っているので誤解されやすいですが、あれも自分の表現や自分の体を見せているんじゃなくて、ある世界を作り上げる事ができる技術を保有していることを確認している、テクネー祭りなんですね。彼女達にとって、技術だけになり、人格がなくなることは夢でした。空虚な中心化したかったんです。そして、その中心に相応しいのが、初音ミクだったのです。

千本桜もカゲロウデイズも、敗戦の王の記号に満ちていて、大変分析しがいのある曲ですが、それはとっておくとして、上記の2曲、どちらも、たおやめかつますらおで、多義でゆたっていて淫微でしょw 日本人にぴったりの歌う王器を、大勢の日本人がクラウドで育て上げてしまったんですよ。

ということで、天皇機関説のパロディーで、天皇ボカロ説を歌い上げてみました。

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6/13 むつ投稿

まさか明治天皇から一転して初音ミクの話題になるとは・・・岸井マジックですなww

初音ミクに関してはぼくも興味深い現象だと思っていました。これはでも天皇と逆転位が起こっているなぁというのがぼくの感想です。天皇というのはそもそもは「実像」のある生身の存在で、それが「歌」によって、女性になったり、呪術者になったり、神仏になったりと「虚像」(ヴァーチャリティ)を獲得するわけです。ところが初音ミクというのはもともとは「虚像」です。それに全世界に数多いる音楽制作者(=実像)が介在することによって「歌」を発生させる。要するに「実存たる天皇」は「歌」によって「虚像」を獲得し、「虚像たる初音ミク」は「歌」によって「実像」を獲得していくということなんですな。実際、ソフトウェアを発売したクリプトンの公式設定では初音ミクの「性格」なんてのはどこにもないんですが、いつのまにか音楽制作者の歌によって初音ミクは「ネギ」をぶん回したり、「天然系」だったり、「お姉さんキャラ」だったり・・・といった性格や特徴が次々に付与されていきました。ここで面白いのが、こうやって実像的になればなるほど、しかし初音ミクは、ますますその虚像性を強く発揮して、虚像か実像かわからなくなり=多義を獲得し、「中空構造的な存在」になっていくということです。レイヤーさんというのは、まさしく初音ミクを中空構造にするための実像で、そうすることで初音ミクという存在が「補完される」ということなんだと思います。天皇が歌を無くし、一義になり、機能不全に陥った近代日本に、初音ミクという「中空構造の歌い手」が現れ、みんなが熱狂している(500万回再生ですかね?とにかくすごい数字ですが・・・)というのは、日本人の古層にある潜在的意識の発露ではないか?という気がしています。

ところで日本神話が西欧・中華神話のような二律ではなく、三律の中空構造である・・・ということは心理学者の河合隼雄先生の提唱でした。『記紀』を時系列で読んでいくとわかるんですが、日本の神々も最初に登場する神は「ひとつ神」なんですな。「アメノミナカヌシ」とか「タカミムスビ」「クノトコタチ」とかがそうですが、それが時代が経るにつれて「オモダル&アヤカシコネ」や「イザナギ&イザナギ」といった「ふたつ神」になる。これは明らかに道教的な陰陽の思想が日本に入ってきた証明ですが、日本神話が面白いのが、これがさらに増えて「三神」になったことです。「アマテラス&ツクヨミ&スサノヲ」というのが一番良い例で、アマテラスとスサノヲは理解しやすいんですが、ツクヨミというのが、どんな性格の神様なのかいまいちよくわからない。よくわからないけれども非常に重要な神様として位置づけられている(三神子といってイザナギはこの三神の登場を泣いて喜ぶんですな)。ツクヨミとは一体、なにか?それは陰と陽、善と悪、男と女といった二律構造ではない、この宇宙の成り立ちを三律構造にするための存在で、トリックスター的に、物事を揺さぶる「ゆた(歌)う神」なんですな。二律はいろいろと危険です。オセロのように白を黒に、黒を白にするような天地ひっくりかえりの思想(中国でいえば易姓革命ですな)を許容する危なっかしさがある。しかし三律構造はジャンケンのあいこ=三すくみのように、世界を微妙なバランスで安定させます。アマテラスとツクヨミとスサノヲは、実像と歌と虚像であり、天皇と歌と初音ミクです。『記紀』の昔から平成日本まで、日本民族は一貫して、この中空構造的世界観を維持しようとする。以前、岸井さんが天皇がいなくなったら日本はすぐさま解体するだろうと予言しましたが、ぼくもその通りだと思っていますが、しかし仮に天皇がいなくなっても、日本民族はすぐさま天皇的存在に代替する何か?というカラクリを創造して、日本民族たりえるとぼくは思ってます。実際のところ、侃侃諤諤の論議はありますが、天皇家というのも万世一系ではなく、葛城王朝、三輪王朝、河内王朝、近江王朝と、おそらく何度かは王朝交代しているようですが、それでも「天皇的存在」を常に継承してきたところに日本民族の大いなる知恵があるわけですから。

日本的な技術の継承の重要性については、311でほとほと思い知りました。伊勢神宮の式年遷宮は「同じ様式の建物」を20年ごとに作り直します。そうすることで、建物ではなくて、技術を後代に継承しようとする。津波にあわないようにスーパー堤防を作って都市を守る・・・というようなハード(建物)の継承ではなくて、どうせ建物は津波で流されるし、地震ですぐ壊れるし、ならばソフト(技術)を残そう!としたのは、これも日本民族の知恵ですね。

「中空構造」と「遷宮」。これこそが、日本が世界に誇るべきテクネではないか?と思っています。

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6/14 岸井記

中空構造、面白いですよね。

僕は、陸奥さんの説明を読んでいるうちに、三位一体論を思い出しました。上記の整理のようにアマテラスーツクヨミースサノオが実像ー歌ー虚像とすると、父ー天使ー子とほとんど同じになりませんか。天と夜と国の3つだとすると、ますますそうですね。
河合隼雄は日本神話とギリシャ神話との共通点も論じていますが、陸奥さんが日本の中空構造に三位一体ボロメオの輪とは違うどんなリアリティをもっているのかが気になります。

ミクはツクヨミだと思います。歌そのものだと思う。まず、ミクは陸奥さんのいうように空虚ですから、空虚な中心に相応しい。
しかし、ミクには設定あると思いますよ。見た目です。「ツインテール+青系」は、セーラームーンとセーラーマーキュリーの、アスカとレイの合体です。ツルペタの体系とセットになったとき、僕らはその外見だけで、内面を設定せざるを得ません。これぞ日本の伝統、型で設定がわかる技、萌ですよ。(週末に向けての話題作りなので、過度にオタク話題すみませんw)

ちなみに、セーラームーンの黄色は、弟妹分である鏡音リン・レンに受け継がれ、アスカの赤は巡音ルカ姉さんに受け継がれている。リン・レンに挟まれたミクはセーラー戦士のようですし、カイト・ルカに挟まれたミクは適格者にみえます。僕だけか。。。そして、やはり、この2つの3律の真ん中がミクです。(ルカとリンがアマテラス、レンとカイトがスサノオでしょうw)
セーラームーンの血を引く彼女は月の神、月の子であり、幼ごころの君であるにちがいありません。

まあ、それはさておき。

陸奥さんの言うように、明治天皇は、実像をもって、主体的に頑張った、希有な天皇です。しかし、大半の天皇及び、現代と江戸時代以前の天皇のイメージは、たおやめでなにもしない、空虚な中心なんじゃないかなあと思います。むしろ、実像とか主体とかは、近代の持ち込んだ概念であって、それまで、日本の世界は仮だったんであり、その王である天皇は、現実と虚構の境界として、歌そのものだったんじゃないか、とイメージしています。。。そろそろ誰かに怒られますかね?っww

遷宮はテクネの祭です。
これがアルスの祭りでなく、テクネの祭りであるのは、木を使うからですよね。宮大工は、寿司職人が魚を見る様に森を見て材料を選びます。20年の単位は、弟子を育てる期間と思うのですが、これだって、人間の成長に合わせたテクネですね。さらに、もうひとつ、遷宮は、全てが仮であることも現している。私たちにあるのはテクネーだけで、此の世界は仮設である、とね。

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6/14 むつ投稿

「三位一体論」は、結局「一体」であるところが、やっぱり一神教的概念やなぁという気がしてますね。また中空構造の場合は、「中空」を発生させるのあれば、べつに「3」でも「4」でも「5」でも「6」でもいいんやろうと思ってます。むしろそちらの方が「中空」が強調されますし。八百万の神々とかいいますが、結局、日本人の神話体系は「中空(充満した空)」で、「日本人は無神論者だ」といわれる正体も、この中空的心理態度を指すのではないか?と思うんですな。日本人ほど宗教的行為に満ち溢れている民族はいないのに、それを宗教的行為だとまったく思ってないわけで、単に「日常生活」だと考えている。「祭り」も「いただきます」も「おみくじ」も「クリスマス」も「ハロウィン」も宗教行為ではなくて、生活の中のささやかな楽しみ?ぐらいの意識なんですな。この「中空」な感覚は一神教の民には理解できないでしょうな。

それで、ぼくはこの日本神話の「中空」構造ってのは、結局「ゼロの概念」に通底すると思ってるんですわ。世界中にいろんな宗教があり、とくに土着系の宗教と、世界宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)は色々とケンカしますが、なぜか神道と仏教は意外とすんなりと親和することができた。これは要するに2つの宗教概念の基層にあるものが「ゼロの宗教」という共通項があるのでは?と思ってまして。古代インド人というのは「ゼロ」という概念を発明しました。人類の数学史上の一大革命ですが、このゼロという概念の哲学化、宗教化が仏教で、要するに「仏教とは無の境地である」とかいいますが、これ、数字に置き換えたら要するに「ゼロ」です。この仏教の「無」と、そして日本神話の「中空」は似てるといえば似てる。宗教学者が聞いたら怒りそうなぐらい乱暴ですがw まぁ、神仏習合=本地垂迹=宗教の合一なんてムチャなことが成り立った要因として、構造的に似ているからでは?というのは一考の余地があると思ってます。

セーラームーンとセーラーマーキュリー・・・ってよくわかりませんww すいません。アスカとレイはわかりますが、岸井さん、どんなけ博識なんすか?ww しかし赤とか青とか黄とかのヒーロー、ヒロインって、ぼくは発祥は変身戦隊モノでは?と思いますね。日本人の初めての変身ヒーローは月光仮面で。これは月光菩薩の化身なんですよね。仏教色が非常に強い。また、そもそも何かに変身して民衆を救う・・・というのは観音菩薩信仰です。このへんの話も広がりそうですなww

近代以降の天皇って、なんだか、もう、ぼくらにはよくわからないんですよねぇ・・・。ただ『忠臣蔵』はぼくは将軍(吉良)VS天皇(浅野・大石内蔵助)の代理権力闘争だと思っていて、そういう意味では、天皇家って、意外と暗躍してたんやないか?と思ってます。ほんま怒られそうですね・・・ww

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6/16 岸井投稿

ほほー、忠臣蔵の解釈気になりますね!是非教えてください。

それにしても、この企画スタートして一ヶ月経ちました。岸井の考えた事らしい感じで、だれもついてきていませんねwやるなー、僕。

さて、なるほど、中空構造は0なんですね。とすると、最近、僕が考えているのは、0と1を往復するような人生を設計できないかなあということです。たとえばプライベートは0で、仕事は1だとか、逆も有り得ますが、0だけ、1だけだと、みんな疲れちゃうんだなーというようなことですね。
僕もかいてて、何を言っているんだかよく分かりませんが、しかし、それは日本仏教の「行って帰る」というようなことを毎日したいのかもな、とも思いました。観音様の変身も0から1ですね。

とすると、僕は、1から0、まず悟るとか、グダグダになるとか酔いつぶれるとかがわかっていなんだなあ、とも思いました。

サラリーマンをして身に付いた事は、1を0にするフリです。カラオケもそれで覚えました。でも、本当に0にはなっていないのだろうな、とは思っています。

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6/21 むつ投稿

では、とりあえず忠臣蔵の話を。至極、簡単な話なんですが、じつは赤穂・浅野家は尊王思想の藩だったんです。寛文元年(1661)に京都の内裏が炎上したときに各藩はお金を出し渋っていたんですが、我先にと金を出したのが浅野長直(長矩の実父です)で、その新内裏造営を命じられたのが浅野家の筆頭家老・大石良欽(大石良雄の祖父です。良雄の父は大阪で急死したので、この祖父が良雄を育てました)で、内裏を再建させてます。あんまりにも立派なんで、後西天皇から出来栄えを褒められたほどやったといいます。この成功から赤穂藩は皇室お気に入りの藩になりました。

その40年後の元禄14年(1701)に東山天皇の勅使が江戸に下ることになり、その接待役として赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が大抜擢されたのは、この皇室お気に入りということが起因やったんですな。そして、その接待の指南役として赴任してきたのが高家肝煎の吉良義央(幕僚ですから、もちろん将軍派です)だったというわけです。それで浅野内匠頭と吉良上野介のイザコザとは、勅使(天皇の名代)と征夷大将軍のどちらの位が上か?どちらが上座に座るか?料理の順番はどちらが先か?・・・といったまさに面子の問題やったんですな。作法云々ではなくて「朝廷VS幕府」という権力闘争そのものだった。そう考えると例の「江戸城松の廊下事件」というのも納得いきます。「江戸城で抜刀して斬りつける」というのは、まともな将軍配下の武士であれば到底考えられませんが、「尊王思想」という正義イデオロギーに染まった天皇崇拝者の義挙と考えると、さもありなん・・・と思えてくるわけですな。そういうわけで、ぼくは『忠臣蔵』とは、イデオロギー闘争なんやと思ってます。

ただ『忠臣蔵』の面白さとは、赤穂四十七士のアナザーサイドストーリーの豊富さだと思ってまして。なんせ47人全員に「金の貸し借り」やら「妻の離縁」やら「仇討」やら「恋のスパイ」やらと「物語」がありますから。つまり「忠臣蔵」とは『忠臣蔵神話』ともいうべき、一種の神話体系になってるんですな。源氏物語や夏目漱石を読んでも日本人はわからないですが、忠臣蔵を全部調べれば、ぼくは日本人とはなんであるか?というのがわかると思ってます。それほど忠臣蔵は深いです。

岸井さんがサラリーマンしていたというのは、まったく想像がつきませんww しかし「1を0にする」ために「カラオケ」を覚えたというのはおもろいですな。この国では結局「宴会芸」でしか自分を表現できない・・・ということですかね?

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6月23日 岸井投稿

なるほどなー、浅野家は天皇家のお気に入りだったのですね。知りませんでした。

吉良家は、足利家から、三河東北関東と細々続いた一族で、東京を歩いていると、そうした一族の意気地を強く感じます。八犬伝の里見氏とか、のぼうの城で有名になった成田氏とか上野介とは微妙に血筋の違う世田谷城の吉良氏とか、その手下で江戸の名前の由来になった江戸氏とか。防人、阿弖流為から、将門、武士の誕生、武田家、後北条氏、新撰組、自由民権運動と、西東京は、我の強い武人の名産地です。歌舞伎の仮名手本の吉良って、高『武蔵守』師直じゃないですかw僕は、この悪役、武蔵の土地の怨霊に思えるんですよね。正体は、縄文人、国ツ神ですよ。

製塩で儲けてた浅野家は数学が得意だった。経営改革にも成功しています。あったまいー感じだったんだと思う。武蔵の悪霊は、生理的にそういうの、嫌なんでしょう。赤穂浪士をヒーローにしたのは、庶民で、転倒が起きる。赤穂浪士の方が、東国武士っぽく、吉良家のほうが、公家っぽく描かれなおしちゃうでしょう。その無理のおかげで、キャラクター設定を作り込まないといけなくなり、サイドストーリー群は量産されたんじゃないかと思うんですよ

赤穂浪士にこそ、日本が見えるというのは大賛成です。英雄譚、怪談、歴史叙述、ラブストーリーと、叙事演劇の要素をパンパンにそなえています。平家物語とか太平記の系譜ですよ。それは、事実として、というより物語る態度としての日本ですね。この物語の目標は、魂鎮めだと思います。陸奥さんの言う0にする儀礼です。そして、今日の話題の西東京=多摩にも通じます。「多摩」を静めるために、土蜘蛛のように供儀にさしだされたのが、吉良の首なんじゃないかなあ。

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6/25 むつ投稿

高『武蔵守』師直!!?そういえばそうでしたね・・・そうか。高師直は「武蔵の神」と考えると、じつにおもろいですね。まさに「岸井忠臣蔵」ですなww いや、しかし『仮名手本忠臣蔵』は明らかに上方の歌舞伎だとはぼくは思ってまして。大星由良之助(大石内蔵助)も昼行燈でスパイ活動していたのは上方の「祇園一力茶屋」ですから。そもそも戦争、仇討するに一番必要なものというのは資金です。それを調達するには、元禄バブルでいちばん金が集まっていた上方・大阪が非常に都合がいいわけで。上方商人の中には、赤穂藩が取り潰されて可哀想に・・・と「判官贔屓」した人間がいろいろといたはずです。有名な義商・天野屋なんかはまさしくその代表格でしょう。大体、「将軍の藩取り潰しに反抗した赤穂藩士」というのは、これはれっきとした「クーデター」であり、「反権力の物語」ですから。上方の人間が拍手喝采したんはまずまちがいないです。そして徳川幕府が、それを許容したのは、じつは「上方の反権力組織へのガス抜き」という政治的効果があったと思ってるんですな。こういうのは徳川幕府のスゴイところでして、じつに巧妙巧緻な支配組織で、そうでなければ270年間も日本全国300藩を統治できなかったでしょう。芝居演劇の政治的利用ですw

忠臣蔵の赤穂藩士がほんまはあったまいー感じであったのに、いつのまにか東国武士みたいになる・・・という指摘も笑いましたww ぼくもまさしくそう思います。おそらく「忠臣蔵」を最初応援していたのは上方ですが、反権力構造のままでは、そのうち幕府に睨まれて淘汰されますから、これまた芝居関係者がいろいろと生き残るために徐々に江戸ウケ(幕府ウケ)するようにアレンジされていったと思いますね。それで赤穂が東国武士化し、吉良が公家化されていった。この紆余曲折のプロセスのおかげで『仮名手本忠臣蔵』こそは、上方にも江戸にもウケる日本最大の人気芝居になっていった。

「日本とはなにか?日本人、日本文化とはなにか?」を考えるにあたって公開チャットで「記紀神話」を色々とやってますが、結局、記紀神話は権力者が創作した物語ですから。それに時代も古くて、いまいちようわからん部分が多々ある(そのわからない部分が推論できておもしろいんですが)。そして『源氏物語』も貴族・公家の、『平家物語』も『太平記』も宗教者や武士たちの物語で、どうも、いまの我々とは別種の生き物の話のような気がする。しかし『忠臣蔵』こそは、おそらく日本庶民(われわれの直接の先祖)が、はじめて自分たちの手で構築することができた神話体系だと思うんですわ。

なぜか年末年始になるとテレビが忠臣蔵特集をやるというのも、たぶん日本人の先祖返り現象なんやと思うんですな。1年に1度、年を越すにあたって、我々は日本人であるということを再確認する。忠臣蔵は日本的アイデンティの確認であり、宗教行事でもあると思いますww

あと年末年始になるとベートーヴェンの第9を日本全国各地で演奏しますが、これも「歌う」ということが大事なんでしょうね。「忠臣蔵」と「歌」で、日本人は日本人であることを再確認する。最近はそういうことも減ってきたようですが・・・。

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6月26日 岸井記

あ、もちろん忠臣蔵は本来上方のものです。由良の介の昼行灯とか、江戸で生まれる筈ないですね。ですが、例えば4段目の、切腹をひっぱる所とか、江戸っぽいなあ、と思うんです。つまり、忠臣蔵の上演が東西日本庶民をまとめたのでしょう。

歌舞伎とオペラは非常に似ているんです。永竹さんというオペラ研究者の「歌舞伎とオペラ」に、富を音楽劇に突っ込みすぎて植民地開発に出遅れた日独伊が組んだのが三国同盟で、ドイツがワーグナーを流す様に、日本「陸軍は山鹿流陣太鼓を打ち鳴らして」ヨーロッパ列強に植民地化されたアジアを救って回ったという説が披瀝されていて、笑うところですが、説得力があるのかもしれません。

というのも、忠臣蔵をみていた層は、第2次大戦の真の翼賛者であると丸山真男に指摘される村長クラスで、それは、明治天皇が歌でまとめていった層であったように思うんです。宣長水戸学松蔭の流れで明治維新を説明しようとすると、下級武士までの影響力しか考えられず、第2次大戦の動員のバックグラウンドまで遡りにくい。忠臣蔵が陸奥さんの言う様に尊王なら、明治維新はうっかり成功してしまった討ち入りであり、太平洋戦争は、みんなで切腹したのですから、正しい忠臣蔵です。

第九の大晦日吉例演奏も、上記の話とつながると思います。というのも、その起源は例の皇紀2600年事業(1940年、昭和15年)のクライマックスとして、大晦日にNHKが放送したのです。ここで、君が代じゃなくて、ベートーヴェンかよ!と突っ込みたくなりますが、第九の歌詞にしても、ベートーヴェン好みの物語にしても、大衆の一体化による歓喜ですね。

エヴァのドイツと日本のハーフアスカが、自分の心の壁を溶かされるときに、第九が流れるのは出来過ぎだと思うのですが、第九は個人主義を歌で溶かそうという意図で使われてきました。

つまり、忠臣蔵も第九も、補完されたい庶民の歌だと思うんですね。

僕は、動員とは別の形で歌う方法を考えたいですね。

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6/27 むつ投稿

富を音楽劇に突っ込みすぎた日独伊・・・ってのは笑えますな。しかし「山鹿流陣太鼓で15年戦争に突入した」ってのはこれまた深いです。

山鹿流は軍学者の山鹿素行が発案したもんですが、これほど実践的でない兵法書はないとぼくは思ってまして。討ち入りのさいに太鼓をドンドン叩きならして攻め入るというのは、はっきりいって愚の骨頂です。陣太鼓を叩いて大きな声を上げると、軍隊が大勢いるように思える・・・というのがその理由なんですが、こういうのは、なにも音を立てずに、こっそりと忍び込んで吉良を打ち取るほうがよっぽど効率がいい。宮本武蔵の『五輪書』もそうですが、江戸時代になると「軍学書ブーム」が起こりますが、武蔵はまだ戦場に出たことがあるので多少は実戦的ですが、山鹿素行は江戸初期の生まれで、実際に一度も戦場にでたことがない人物なんで、はっきりいうて、いうてることが無茶苦茶です。平和ボケした時代の軍学書なんですよね。

ところが元禄時代に吉良邸討ち入りが見事に奇跡的に成功したもんだから、やたらと「山鹿流」は持て囃されまして。それを熱心に勉強したのが幕末期の長州藩の吉田松陰。そして吉田松陰の弟子の高杉新作が「奇兵隊」を作りますが、この奇兵隊も「食料がなくなったら奇襲して敵の食料を奪えばいい」というような無茶苦茶な軍隊でした。そもそも軍隊を動かすにあたって最重要なのが兵站なんですが、それを軽視するような軍隊だった。しかし時代の流れに乗って薩長同盟や天才・大村益次郎の軍略によって明治新政府を作る。すると、明治新政府はやっぱり兵站などにはまったく興味がない奇妙な軍隊を作りまして。帝国陸軍も帝国海軍はまったくそういう考えが根底からなかった。「食料がない?石油がない?では現地で調達せよ」とか平気でいうような軍部だったので、インパール作戦のような悲劇が起こってしまった。諸説ありますが、太平洋戦争時の日本軍の半分以上が餓死といわれてますから、これは軍隊運営にあたって決定的に、致命的なものが欠落していたといわざるを得ない。その元凶が「忠臣蔵」の山鹿流にある・・・とまではいわないですが、物語はつながっていきます。つまり旧帝国軍は「奇兵隊的性格」であり、その原型として「忠臣蔵的性格」を有していたということですな。軍隊というよりも「軍隊ごっこ」をしていたのが日本人ではなかったかと思います。笑うにしてはあまりに哀しい話ですが。

エヴァで「第9」流れてましたか?お、覚えてない・・・すいません^^;っていうか岸井さん、なんでそんなことまで知っているのか?覚えているのか?ww

確かに「第9」は「補完されたい庶民の歌」であって、こういうのはやっぱり根強いですな。大阪には「1万人の第9」とかいってサントリーさんが企業メセナによる文化振興をやってますが、しかし「個個の歌を歌えば?(べつに歌わなくてもいいし)」ってのがアサヒ・アート・フェスティバルやないか?と思います・・・おお。なんかアサヒとつながったぞww

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6月30日 岸井投稿

エヴァで第9が流れていたのは、かおるが死ぬ所ですね。アスカはヘンデルのメサイヤです。ハーレルや!でした。失礼。エヴァに詳しいのではなくて(笑)僕は、ファシズムと表現の関係に敏感なんだと思っています。人類補完計画って究極の全体主義でしょ。

ベートーベンは、オペラを書きたかったけれど、結局フィデリオ一曲しか残せず、しかもそれも相当な難産であった事が知られています。彼があこがれ乗り越えたかったのはモーツァルトですからね。モーツァルトになりたければ、とにかくオペラを書かないといけない。しかし、モーツァルトは、演劇的にみても天才でした。音楽の事は僕にはよく判らないですが、劇作家としての才能は僕にはよく判ります。そして残念なことにベートーヴェンは演劇の才能には恵まれていなかった。

演劇的才能とはこの場合何か、というと、一人一人が違うことから始めることです。違うから、対立して酷い事になったり、愛し合って幸せになったりする。音楽は楽器の違いに注目しても、人間については共通点に着目しがちです。ベートーヴェンは共通点で劇を作ろうとしました。フィデリオは、英雄の下に解放される市民の話です。革命と英雄讃美。しかし、それでは芝居にならないのです。だから、もう第九をベートーヴェンのオペラの代表作にしていいんじゃないかと思う。歌詞の最初から「おお、友よこの調べではない!もっと快い、喜びに満ちた調べに声を共にあわせよう。」ベートーヴェンが望んだのは合一であって、ヘーゲルであって、人類補完ですよ。

モーツァルトの演劇的才能のわかりやすい例は『フィガロの結婚』の2幕の冒頭です。

召使いフィガロ夫婦の結婚前夜に、雇い主アルマヴィーヴァ伯爵が、フィガロの婚約者スザンナとやらせろー、と迫ります。この伯爵のセクハラぶりすごくって新婚のベットを2人に送るんですね。「俺の家の中で、俺のベッドでセックスするんだから、俺におこぼれよこせよ」という態度がアリアリです。

フィガロは慌てずに村の美少女たちをつれて、伯爵の前で踊らせます。伯爵がすっかりいい気分になったところで「伯爵がセクハラをなくす決まりを作ってくれたので私たちは幸せですー」と歌わせるのですね。それで、皆の前で「セクハラなんてしないよー」と伯爵が誓うところまでが、第1幕です。なかなかコミカルで劇的にも手が込んでいて、客もこのやり取りを盛り上がりながら見ています。

ところがさて、第2幕の冒頭は、伯爵の奥さんの独唱からはじまります。「昔はあんなに愛してるといっていたのに、最近は、ほっとかれていて寂しい」という歌です。

ここで、私たち客も、第一幕の間、彼女のことをすっかりわすれていたとを思い出すわけですよ。彼女を放置し、寂しがらせたのは、観客も同罪なのです。

さらにいうと、実は、フィガロは、伯爵がこの奥さんを口説気落とす時に手伝った過去があるし、フィガロの奥さんスザンナは伯爵夫人付きのメイドなんですね。だから、第一幕の一番の被害者は、この奥さんなのです。

さて、この奥さんの歌が、ただ、寂しい中年女性そのものであればあるほど、私たちはそのようなハラスメント、ただ忘却する事による暴力に自覚的になるでしょう。いや、1幕で、われわれが見ていたのは、それぞれの人物が違う事によって現されることです。演劇的快楽は、仕組みとか状況とかアングルを作ることと、その中で動く人間の多様性をとことん実現したときにうまれます。
ちなみに、フィガロのフィナーレ。立場も性格もシリアスさも違う人が、好き勝手自分の気持ちを、自分の言葉で芝居しているだけなのに、なぜかそれが一つのハーモニーにまとまっていく。

モーツァルトには世界はそのようにみえていたのでしょう。
ベートーベンがヘーゲルなら、モーツァルトはカントである、というのは使い古された比喩ですが、各人が好き勝手やることが、世界を美しくすることを信じる事こそ演劇の伝統で、この2人がその信仰を常に後ろから支え続けて暮れているのだと思います。

関係ないですが、僕はフィガロの登場人物は全員大好きで、理解できない人がいると、フィガロにキャスティングしてみていますが、AAFでは、よく頭の中にフィガロが流れていますね。アルマヴィーロ伯爵が居るからだと思いますが、だから、彼のことは嫌いになれません。この素敵な滅茶苦茶な世界は、何はともあれ、彼の領土なのですからね!

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7/8 むつ投稿

あ。ヘンデルでしたか。まぁ、ヘンデルもドイツ人ですしw 「ハレルヤコーラス」ではじめてこの世にスタンディング・オベーションが生まれたそうで。バッハのなにもかも対位法にしてまうところや、ベートーヴェンの「運命の動機」(4つの音)だけで交響曲を作ってまうところなど、ドイツ系の音楽は、どうもヘーゲル的というか、全体主義の匂いがしますね。それを付き進めようと新古典のブラームスを経て、もうなにもかもがイヤになって、シェーンベルグの12音技法が生まれたのは壮大なドイツギャグやな・・・と毎回思ってますがw

モーツァルトは演劇的に見ても天才というのはまさしくそうやと思いますね。ただベートーヴェンをかばうわけやないですが、「時代」がまさしくそういう時代やったなぁと思ってます。モーツァルトは自然が自然としての秘密を保持し、美と魔力に満ち溢れていた近世ロココの終焉と、人間が人間となってしまう近大革命前夜の、文明の主役が変わる境目に、自然と人間のパワーバランスが交錯する境界に誕生した奇跡の音楽ですから。「初夜権」なんて文化人類史的奇習が叫ばれる『フィガロの結婚』もそうですし、なによりも、自然と人間の怪しい倒錯が、その魅力が最大に発揮されているのが、やはり『魔笛』でしょう。まぁ、魔笛の話をすると岸井さんには到底かなわないのでやめておくとして(また教えてくださいww)

そういえば、ベートーヴェンとモーツァルトの比較もおもろいですが、老ゲーテがベートーヴェンの『運命』を聴いたときのエピソードがぼくは好きで。運命の音を聞いて、老ゲーテは思わず「建物が壊れてしまう!」と気が動転して叫んだとか。そりゃそうでしょうな。『ファウスト』にはモーツァルトの『魔笛』のような魅力があります。ただ最後、結局、ファウスト博士はグレートヘンの愛で救われる・・・という安易なゲーテ的世界解釈なので、『魔笛』のような「破調の美」はないですが。

しかしAAFは『フィガロの結婚』やったんですな・・・それは知らなかったですww 

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【大阪七墓巡り復活プロジェクト特別企画】7/14(日)19時よりEARTHにて岸井大輔×むつさとし対談「都市とは劇場かつ墓場であり、都市遊歩とは観劇かつ巡礼である!」のための、プレ公開チャットです。

陸奥賢と岸井大輔は、昨年24時間トークイベントをするなど、話し出すとエンドレスに対話出来るのです。が、おそらく、日本語の対話は、文章でなされていたと思います。「はなす」は話すであり放す、ほっぽるイメージですが、「かく」は書くでありながら、欠く、引っ掻いて残す、みたいなイメージがある。文字で、対話を書き残しながら生産することで、何か出来るんじゃないかと思います。

ルールは岸井、陸奥が、お互いのフェイスブックページに作った1つの同じ投稿に対し、1日おきに昨日までのコメントを踏まえコメントを投稿する。投稿は1つの近況について1日1回それだけです。

この投稿の下に、陸奥プロデューサーと岸井の投稿が毎日くりかえし現れるでしょう。

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5/14 むつ投稿

「話す」は「離す」「放す」。「書く」は「欠く」「掻く」に通じるというのはまったくもってその通りや思います。

それで思いついたことは「話す」と「歌う」の違いですかね。ぼくは「歌う」は「ゆたう」に通じると考えていて、古代日本人は「話す」(離す、放す)ことに対する忌避感がありながらも、しかし「歌う」(ゆたう=ゆさぶる)ことは素晴らしい・・・みたいな信仰を感じます。明らかに「はなす」と「うたう」について使役するさいの意識がちがう。今回の試みは「書くこと」の交換になりますが、ぼくは「歌うこと」の交換もいずれやってみたいと思ってます。

じつは「カラオケ」ってそれをやってる気もしますが・・・岸井さんとカラオケをしよう!企画とか意味わからんですがww

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5/15 岸井投稿

交換と観客のことを最近考えています。

観客とは、その場にいる人の中で、自分は見られないで他人を一方的に見ることを宣言し、許されています。いわば透明人間のような存在ですが、透明なわけではない。近い存在に、神とか霊がいます。そう、まれびとです。観客は、共同体の外部から来た客人なわけです。

このことをベタに考えると、舞台と客席の間にあるのは、共同体の界である、ということになります。道祖神でも立ててやりたい。

僕が、陸奥さんとやりとりをするのは、まさに相互が観客になりうる、つまりしょっているコミュニティが違うからですね。

なので、大阪と、東京のご当地ソングを、双方が客に成って聞く会というのはどうでしょうか。

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5/16 むつ投稿

「観客」については最近、ぼくもよく考えています。岸井さんのいうように、本質的には観客はマレビト的な存在であったはずなのに(それはもちろん、どんな社会でも通用する交換通貨=資本という概念が生まれた以降の話だと思っていますが)いま、やたらと共同体内、コミュニティ内で「観客」が消化されすぎていないか?という懸念です。

たまにぼくも世の中のイベントや企画にいったりしてますが、これ、大体、「facebookの誰か(友人)」に招待されたイベントだったりします。要するに「関係性の中での観客」なんですな。ぼくは寂しがり屋なので、誰もいないイベントとかいったら、すぐ身の置き所がなくて、そそくさと帰ったりしてしまいますが、「それでええんやろうか?」とよく思っていて、まったく誰にも招待されずに、誰もぼくの知り合いなんていない、まったくぼくが興味・感心などないイベント(例えば「笑顔と愛嬌を振りまいていればお金は稼げるんです!」みたいなビジネスセミナー\(^o^)/オワタ)に・・・要するに「完全アウェイなイベント」に飛び込んでやろうか?とか思っているんですわ。これは結局のところ、「観客らしい観客」「マレビトとしての観客」になりたい願望やと思ってます。そうすることで、ぼくは新しい世界を獲得するだろうし(してどうするんだ?ということもあるんですが)、イベントをする側も、そういう「他者」「マレビト」を納得・説得・面白がらせることができるか?ってとこで練度やレベルが上がっていくわけですから。

コミュニティや共同体だけで問題が収束できた、自己解決できたような幸運な時代は終わり、それを超えた問題(これをいうのはアレなんですが、放射能汚染は国境とか民族とか時代を超えた問題です)が急速に進行する時代にあっては、そういう「他者」を常に意識したアプローチがさらに求められるであろうし、ぼくはそういう意図を含んだ何か?をやりたいとずっと考えています。でもそれを実行するには難しいから(これはほんとに難しいです・・・まさに天才の仕事でしょう)、その前に、まず、せめて「観客らしい観客」「他者としての観客」「マレビトとしての観客」であることは可能なのではないか?と思っているんですな。

テキトーなイベントを集めて、サイコロを振って、「岸井さん、ヘイトスピーチのデモに参加してください」みたいなことしたいですね。世間ではそれを「罰ゲーム」といいますけどもww

(すいません。「観客=神霊」っていうのはエライ話になりそうなのでちょっと脇においておきますw)

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5/18 岸井投稿

>観客はマレビト的な存在であったはずなのに(それはもちろん、どんな社会でも通用する交換通貨=資本という概念が生まれた以降の話だと思っていますが)

とおっしゃっていることへのツッコミから始めたいと思います。まず、そうなんです、そのとおり。簡単に柳田とか文化人類学とか観光人類学とかを復習すると、本来の祭は余所様にみせるもんじゃなかった、それが観光化することで、マレビト観客はうまれ、まるではじめから観客がいたように祭りがデザインされなおしている、ものを我々は観ているのである。

それはそのとーり、なんですが、しかし、最近わからなくなってしまって。

人間は問題をコミュニティで自己解決してはいなかったんじゃないか、と考えています。コミュニティで閉じてたら、解決しない問題を、マレビトが来ると解決するってことありませんか。DVとか。

観客の欲求として、よくわからないイベントに参加してみたい、というのもあるでしょうが、最近興味があるのは、たとえば「コミュニティの必要としての観客」です。

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ちょっと別の話をします。

コミュニティや共同体だけで別の話が出来た幸運な時代は終わりました。さて、どうしましょうか、といったときに、最近よくはなすのは、コミュニティの中間団体化が必要なんじゃないか、ということです。説明します。

日本に限らず多くの近代国家は、市民が直接国とやりとりするのは大変なので、間接的に意見を通す方法を考えてきました。その一つが中間団体です。町会とか商店会とか農協、ですね。住民の側からすると、自分たちの意見を代理してくれ、国の側からすると、その人たちの意見を聞いていればある程度民意はわかる、という団体です。ついでに、行政の仕事を肩代わりしてくれる責任を持ってくれると助かります。

日本国家は特に戦後、中間団体を助成金漬けにして骨抜きにし、国の意見を聞く良い子を育てる機関にしてしまったし、中間団体の側も私利私欲での圧力ばっかり書けてきたので、あんまりよい印象がないんですけど、間接民主制で国をまわすんなら本当は良い手のはずです。経済での問題解決が難しくなってきた以上、これからは健全な中間団体が必要になる。

んで、NPOを育てたり、コミュニティを育てたり、20年ばかり官民学一体になって頑張ってきました。そんななか、従来の中間団体は見事に空洞化し、たとえば商店街はいまだに既得権益はもっていますが、構成員が見合わなくなってきているわけです。新しくできた団体は、コミュニティとしてリアリティがあるか、行政とのお付き合いにリアリティがあるかのどっちかである事が多く、両方に顔がきかない。

なので、コミュニティが中間団体となる、というのが、これからの10年の方策だと考えています。

長い話になるので、一旦とめて、陸奥さんにマイクまわします。

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5/19 むつ投稿

「コミュニティが中間団体になる」については、ついこのあいだ、ココルームでゆうこちゃんと話をしていました。「商店街にあるココルームの立ち位置って?」って話でそういう流れになりまして・・・ぼくは、さらっと流しましたが、岸井さんともそういう話がでてくるとは思ってなかったです。シンクロニシティですなw

ぼくは「中間団体」は結局のところ、連鎖反応していく・・・と考えてまして。要するに「住民と行政」のあいだに中間団体を作る。ところが、やはりいろんな問題は起こり、今度は「住民と中間団体」「中間団体と行政」のあいだに2つの「新・中間団体」ができる。しかしそれでもやはり諸々の問題が発生し、さらに今度は「中間団体と新・中間団体」のあいだに「新新・中間団体」ができ・・・という細分化(セグメント)が起こり、結局、全体として機能不全に陥っているのがいまの日本社会ではないか?という風に考えてます。

だから、仮に「まちで何かをやろう!」と行政と話をしてみても、まず「都市なんとか課」があり、その後「市民なんとか課」があり、さらに政令指令都市の場合では「区民なんとか課」があり・・・というわけで、往々にして「もう訳わからん!」といった状況になるわけですw

これを打破するにはどうすればいいのか?「中間団体に当事者性をもたせる?」「当事者が中間団体になる?」。たぶん、そのどちらでもあるんでしょうけども・・・。

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5/21 岸井投稿

なるほど。以上を無理矢理要約すると、「コミュニティ外の目線をもった観客は必要だが、コミュニティが外で繋がる仕組みをつくろうとすると、往々にして、わけわからんことになる」ということですねw

この問いの回答を、私たちは、去年24時間かけて探りました。つまり、コミュニティの「自治」問題です。ポイントは2つありました。復習します。
まず、中間団体を複雑化させない規模・範囲として、従来の藩がいいんじゃないか、ということから「廃県置藩」というキーワードが生まれました。国家を維持しながら、担い手を世代交代させるには、この程度の地方分権は必要だと思われます。

しかし同時に、中間団体は幻想に基づいているので複雑になったのではないか、という話もしました。中間団体がつなぐのは、国と個人、すなわち、近代国民国家と市民個人です。が、この両端がそもそもモダンの幻想であって、賞味期限切れを起こしている。今は、ネーション=ステートの代案を考えなければならないわけです。そこから陸奥さんも岸井も、新聞(しんぶん)、講(保険)などの再私有化や、宗教儀礼の研究実験、果ては文明(蚕)や個(界)の存立条件にまで手をだしている訳です。話が大きくなるばかりで現実と結びつけるのがなかなか大変でした。

昨年話さなかった点をもうひとつ指摘させてください。戦後日本社会の「自治」のイメージは簡単でした。経済的自立です。しかし、これから不況が続く中、経済的に自立は困難になるでしょう。でも、継続した方がよいコミュニティは多い。基本的人権のように、基本的コミュニティ権は認められるべきです。コミュニティと外を繋ぐ道として、経済がダメになったので、中間団体化=仕組み化が実装目標であろう。しかし、国も市民も幻想であることを知っている。では、どうしたらいいか。

ここで、対案として出てくるのが、歌かもしれません。あるいは、僕には同じ事ですが「ふり」かも知れません。つまり、エートスです。

アリストテレスがいうエートスは、共同体を越える説得力を持つ習俗であり倫理であるものを指しています。理論上は変に感じますが、そのようなものの良い例、それが歌なのです。

歌はコミュニティを越えて、種族や文化や文明を越えて響き合うことが出来る。つまり、中間団体の欺瞞を越え、仕組みに関する様々な提案の空疎さを越えるものこそが、歌なんじゃないか。

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5/22 むつ投稿

えらいこっちゃ・・・一挙にまとめはりましたねww 

アリストテレスがエトスとして「共同体を越える説得力を持つ習俗であり倫理であるもの」と指摘したのは理解できます。確かにエトスにはそういう一面がありますから。ただ、ぼくはじつはエトスといっても二種類あるのでは?と思っていて、それはアリストテレスがいうような「共同体を超えるエトス」と、もうひとつは祭礼や風習に代表されるような「共同体を確認するためのエトス」ではないか?と思っています。

「漢字」というのものは共同体を超えた言語体系です。日本、中国、台湾はいまでも漢字が使用され、かつては韓国、ベトナムなどでも使用されていました。「仏教」というのも共同体を超えた宗教体系でしょう。これはインド生まれですが、チベット、タイ、インドネシア、シンガポール・・・漢字よりも広く知れ渡っているアジアのエトスといえます。

こういう共同体を超える「アリストテレスのエトス」に対して、「いや、これは他の民族、他者には容易にはわからないぞ」というのもエトスの中にはあります。アフリカでは女性が妊娠してから子供を産むまでのあいだに、どれだけその妊婦とセックスしたか?その回数で、生まれてくる子供の父親が決まるという種族があるとか。おなかの中の子供は精子を食べることによって成長するので、胎児を育てて出産まで成長させてくれた男こそが父親の資格があるというわけです。「悪い子はいねが~!?」といって鬼が家の中に入り込んで暴れまわる。男根と女陰の神輿を担いでまちなかを練りまわる・・・こういうエトスは容易に共同体を超えません。越えませんが、その部族や種族、共同体の中ではアリストテレスのエトスよりも、強烈なエトスとして作用する。それがわかるか?わからないか?できるか?できないか?によって共同体は共同体として確認され、維持される。こういうエトスも確かに人類の中にはあります。

歌はエトスである。しかし、そのエトスは「アリストテレスのエトスなのか?それとも共同体のエトスなのか?」という問いがまず必要だろうと思っています。そしてじつは歌というものは、そういう「エトスの両義性」をもっている「稀有なエトス」であり、それがゆえに素晴らしい・・・ということなのでは?と思っています。

(歌が内在する両義性については、ちょっとちがう話も思いついたんですが、それはまた今後で・・・。書いてると長なりそうなのでww)

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5/23 岸井投稿

では、さらにまとめましょう。

歌には、2種類ある。「共同体を確認するうた」と「共同体を越えるうた」
観客にも、2種類ある。「共同体内の観客」と「他者としての観客」

この2×2の歌と観客の組み合わせで、私たちはいろいろな話ができるんじゃないかと思いますが、まず最初に、いささか気ぜわしいですが、
「共同体を確認するうた」×「他者としての観客」
こそ、むつさんや僕が興味のあることなんじゃないですか。

これが、コミュニティツーリズムであり、劇場です。あるいは、「都市遊歩とは、観劇であり巡礼である」という言葉の意味でしょう。

あとで、遊(歩)と、歌の繋がりを考えてみたいと思いますが、この図式自体が大きいので、一回むつさんに返します。

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5/24 むつ投稿

さらにまとめられてしまったww

気にせずに「歌の両義性」について話をします(岸井さんがまとめるなら、ぼくはとっちらかしたほうがええかな?ということでw)

「小倉百人一首」の一番最初は天智天皇の歌「秋の田の 刈穂の庵の 苫をあらみ わが衣では露に濡れつつ」です。この歌の大意は「秋の田んぼの稲を刈るために仮庵で寝過ごしていたら衣が朝露で濡れてしまった」というような田植え歌であり、収穫を祝う歌です。ぱっとみると平凡な歌なんですが、でも、じつはこの歌には裏の意味があって、それは「あなたに飽き(秋)られてしまったので、もはや自分のいる場所が仮の庵のように儚く感じられ、衣も悲しみの涙で濡れています」という失恋歌だったりします。

みんなの田んぼの豊作を祝祭しながら、個人の密やかな失恋を呪詛する。この相反する両義性の同居こそが歌の神髄なんでしょう。またさらに面白いのが、この失恋の主人公はどうも女性っぽいのですが、それを謳っているのが男性である天智天皇であるということ。ここにも男と女という性の両義性が同居しています。二重、三重にコトバの価値転換や多義化が行われて、複雑極まりない構造となっている。「小倉百人一首」の一番はじめを飾るに相応しい、じつに歌のお手本のような歌なんだと思ってます。

じつは歌がそうであるように、「観客」という存在も、2種類あると考えるのがそもそも間違いなのかも知れません。共同体の人間であり、他者であり、マレビトであり、当事者であり・・・というような「観客」ってのもあるのではないか?「観客の多義化」のようなことが仕掛けられないだろうか・・・?

ぼくがなりたいのも、こうした「多義的な観客」だったりします。残念ながら、いろんなイベントに出ていますが、まるで、そんな観客になれることはないのですが・・・。

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5/26 岸井投稿

多義的な観客!それは素敵なアイデアですね。しかし、恐らく、遊歩をしている人は、多義的な観客ではないですか?

本当なら、美術館にいようとトークイベントをきこうと劇場にいようと、上演に立ち会うというのは多義性の中にさらされるという事であって、事前に決めつけていたフレームの中で完結してしまったら、観客したことにはならないと思っていますが、ハコの中でそれをやるのは難しい。というのも、美術館であれ劇場であれ、近代に出来た鑑賞装置は、観客を一義的にするために造られている訳ですね。パノプティコンに、歌はないのです。

さて、僕が思うに、歌を消そうとした時代は近代だけじゃない。天智天皇に引っ掛けて言うなら、たとえば大化の改新なんかは、多義性の消滅をねらったんじゃないかwと思うのです。制度が歌を主滅指せようとしたからこそ、万葉が生まれたんじゃないでしょうかね。逆に世界に歌があれば、歌を読む必要なんてない。よい歌が生まれるのは、不幸な時代の証かもしれないですね。

現代の日本は、もっとも歌から遠い、マネジメント地獄。なので、もっとよい歌が出てきても良いと思うのですがね。

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5/26 むつ投稿

「パノプティコンに歌はない」・・・かっこよすぎますww 確かに近代は観客というものを一義的にし、企画化し、大衆化し、資本化しました。

遊歩、逍遙、フラヌールするひとは、まさしく「多義的な観客」になりえます。しかし、哀しいかな。そういうひとはまち歩きには来ないし、ぼくのガイド、ぼくのまち案内でもなかなか「多義的な観客」は生まれてこないです。こういうのがいやになって、どうすれば「多義的な観客」の場を創出できるだろうか?ってことで、とりあえず「観光」でやる前に「メディア」でやってみようと「まわしよみ新聞」をやった・・・ってところがあります。自然発生的に広がり、伝播し、いずれ「多義的な観客」が生まれてくるかも?という予感のようなものは感じていますが・・・。

岸井さんの、しんぶん部ではどうやったんでしょうか?5月でグランドフィナーレのようですがw

歌を消そうとした時代・・・ありますね。その話で、思いついた話がありますが、また次に書きます。長くなるのでww

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5/27 岸井投稿

多義性を殺す要因は、話言葉にある、なぜなら、話しているとわかりやすい事=いいこと、という封になってしまうから、というのがデリダの喝破でしょう。それが正しいなら、なぜ、陸奥さんのガイドの客は多義的にならないのか?という問いへの答えは、おしゃべりだから、です。黙っていればよい。だから問題は、説明を求める観客にあるんじゃないか。みんな勤勉です。おもろい!より、わかる!と言いたいのですよ。私たちはそれに、サービス精神でのっているんじゃないかと思います。

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5/28 むつ投稿

「なぜ陸奥さんのガイドの客は多義的にならないのか?おしゃべりだからです」・・・ぎゃー!!あっさり看破されてしまいましたww ぼくとしては、ぼくを黙らせるぐらいの多義的な客を!ってことだったりもしますが、まぁ、そんな客は多義的というよりも単純に「ビョーキな客」ですな。

気をとりなおして「歌」の話をしましょう。「君が代」です。やはり「歌」というテーマを扱う以上、これはどうしても避けて通れない。「あなたにとって君が代とはなんですか?」と問うことが、「歌」というものに対するそのひとのスタンスを表明するとも思ってます。

じつは「君が代」の元々は『万葉集』にある「挽歌」である・・・という説があります。大阪の姫島というところで歌われた歌に「妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに 苔生すまでに」というものがあり、これが古今和歌集に収録されている詠み人知らずの「君が代」の本歌(元歌)になったというんですな。この挽歌については「和銅4年(西暦711年)歳次辛亥、河邊宮人姫島の松原に孃子の屍を見て悲しび歎きて作る歌」というのが『万葉集』での説明です。ある旅人(河辺宮人・かわべのみやひと)が姫島を訪れると、若い娘が亡くなっていた。あなたは亡くなったが小松に苔が生したとしても、わたしは永遠にあなたのことを忘れはしない・・・というような意味です。このカワベくんとお嬢さんとの関係性はようわかりません。ようわかりませんが、男女の仲であったと考える方が自然でしょう。

また「君が代」は遊郭の歌、色歌でもありました。中世戦国時代に大阪・堺で活躍した日蓮宗顕本寺の僧・高三隆達(1527-1611)の『遊里図』(菱川師宣筆?六曲一双)という屏風に、遊郭の光景と当時流行したいろんな色歌が掲載されてるんですが、この中にズバリ「君が代」が入ってるんですな。隆達は「隆達節」という俗謡を広めたひとで、我が国初の元祖シンガーソングライターです。さらに「君が代」の作曲の話をしますと、明治時代に節(メロディー)がつけられたわけですが、この作曲者が「林広守」さん。この林さんは大阪・天王寺の伶人町の一族です。天王寺舞楽の楽人出身なんですな。要するにぼくがいいたいのは、ぼくは大阪生まれ、大阪育ちの生粋純粋培養の「濃縮大阪人100%」の大阪人ということもありますが、「君が代は大阪の歌や!!」と主張してはばからないわけですw だから、ぼくは「君が代」が好きで、「君が代」を歌うこともまったく抵抗がありません。わが愛する「郷土の歌」なんですから。

しかし「君が代」の「君」というのは、本来、時代によって松原のお嬢さん(死体)だったり、遊郭の女性だったりしたわけですが、現在の「君が代」は卒業式や入学式で歌われて起立するかしないか?で先生を罰則するという歌になってます。これはこれで、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」といえますが、歌というものの本質がここにあるという気がしていて、つまり歌というものは多義的であるがゆえに素晴らしいんですが、それをなにか(誰かが)一義的なものにした途端、非常に貧しくて、つまらなくて、困った状況が現出するというわけです。

「君が代は大阪の歌だ!」とぼくが主張するように(もちろん、これはぼくに中のナラティブであって、べつに他人が「君が代」をどう解釈したっていいと思ってます)、いろんなひとが、いろんな主張を込められる「歌」が素晴らしいわけです。それを許容する精神が「歌」には求められる。むしろ、この精神が立脚していれば、どんなコトバも歌になる・・・という気がしています。しかし近代というやつは、そういう多義性を排除します。理路整然と、一直線に、純粋に、意味というものはなされていないとコトバとして認められない。曖昧模糊、胡乱、うやむや、どっちつかずなんてコトバは到底は許されない。そういうコトバではディベートできないし、ビジネスできないし、近代が作れないから、でしょう。だからいまという時代に「歌」が生まれてこないんでしょう。

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5/31 岸井投稿

僕はむつさんのガイドは歌になっていると思いますよ。なぜなら、ほとんど嘘でしょwというか、自説を事実であるかのように強引に語り、それを事実化させる芸なんです。これ、虚実皮膜の間を生きる近松の芸ですよ。

ぼくがやっていることも虚実皮膜ですが、やり口が反対です。すなわち、単なる事実を劇と言い張る行為ですね。

むつさんの上演(←まちあるきのガイドを、上演といいはる岸井の芸ですね。)がおもしろいんだとしたら、博識さとか説明の上手さじゃない。一義の実を、虚を混ぜることで溶かしてしまおうという冒険にあります。この一つ上の書き込みでも、いろんなナラティヴのひとつとして自分がいる、とむつさんは主張しているし、その顕現のひとつはあきらかに大阪あそ歩ですよ。ガイドさんの数だけ(いや、ガイドさん一人ひとりに一貫性はないので、ガイドさんの数以上のw)大阪をあらわし、都市を多義に開こうとしている。

それを、むつさんは、巡礼と呼んでいるんじゃないか。

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君が代はとてもよい「共同体を確認するうた」です。国民国家が崩壊してくる理由を、国家の都合(経済と統治の効率の問題)にするとキツイので、国民の問題にしちゃおう、というのがファシズムですね。共同体を確認するうたは、ここで、国民国家に利用されてしまいます。生贄にささげられたお姫様のように。昨今の君が代日の丸問題をみていると、愛国心というよりも、騎士精神が疼きますよ。君が代日の丸を悪用しようとするやつらから、助けてやるぜ、と思う。しかし、この騎士に必要な力は武力じゃないんですね。何か。多義に開く力、歌唱力ですよ。

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6/1 むつ投稿

基本的に「真実3割に嘘8割。足して11割」というのがぼくの話芸です。「真実が3割もあるのがすごい。イチロー級です」と続きますw

岸井さんが「天上天下唯我演劇」の「演劇至上主義者」だというように、ぼくには「物語至上主義者」の一面があります。日本というのは戦後ずっと「物語」を排除してきました。それは「神国」だとか「五族協和」だとか「大東亜共栄圏」だとか「最終戦争論」だとかいう「偉大なる物語」で郷土をボロボロにした・・・ということの反動なんでしょう。物語というのは人間を人間離れさせ、英雄、梟雄、奸雄にするような恐ろしい作用力をもっています。人間を酔わせるんですな。しかし、だからといって、物語を怖いと排除してしまうと、それこそ「物語への耐性」がなくなり、単純で、幼稚で、馬鹿げた、子供だましの物語に、まんまと乗せられてしまう。そうならないためにこそ、じつは「物語」が必要になってくるわけで、それは「大きな物語」「偉大な物語」なんてものではなく、「小さな物語」でええんですな。ぼくがまち歩きでやったことは、そんな市井の、平凡な、なんでもない、「小さな小さな物語」を、たくさんたくさん集めることでした。小さいけれども、誰も知らないけれども、「自分だけの物語」「等身大の物語」をもっていることで、「巨大な物語の陥穽」から逃れることができる。見破ることができる。また大阪はそういう物語の宝庫の都市やったんですな。そない大きい物語はないです。しかし小さい物語は無数にある。ええ都市に生まれたなぁと思ってますよ。

ええっと「君が代」の話に続けて「日の丸」についても思いついたことを。雑談ですが。

ぼく、「日の丸弁当」って好きでして。あれは、しかし政府推奨で、太平洋戦争のさいに「興亜奉公日」や「大詔奉戴日」に食べてたんですな。戦争の最前線の兵士も食べていた。それで「お国のために戦う兵隊さんにお米を食べてもらおう!」と内地の人たちは雑穀や芋を食べ、兵隊さんにお米を送っていた。ところが米ほど戦争に向かない食べ物はないわけで。なぜか?というと米は炊かないとあきません。飯盒で炊くとモクモクと「煙」がでる。米軍が上陸してくるから、ジャングルの密林に隠れているのに、そこから煙がでていたら「ぼくらはここにいますよ~」と敵に居場所を知らせてるようなもんです。そんなアホな話はない。最初は米兵も「ソンなアホナ。これはワナダ」と疑ったそうですが、攻撃してみたらちゃんとそこに日本兵がいて部隊が壊滅してしまった。これはさすがに米兵も唖然としたそうです。

そんなアホな民族が日本人やということです。ぼくはそのアホさを愛す。

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6/3 岸井投稿

大きな物語と個人の物語の違いは、その大きさよりも、それが人間の現在に先立つか後付かによるところが大きいと思います。

物語というのは、「あんなことや、こんなことがあった」と、なんかあった「後」に生み出され、語られるのが起源なはずです。そのとき、物語の主語はまず当然、語る個人でしょう。「おれはこんなことをみた。」というふうに。これが後付の物語ですね。

ところで、これから起こることの物語を作ることもできます。「あーなって、こうなるよ!」というふうに。これがやっかいなんです。なぜなら、人間はその物語がまったくのでたらめでも、動かされてしまうからです。

自分の国が日出ずるところだと手紙を書こうが、われわれの国は神に選ばれていると信じ込もうが、人権意識が進んだ国だと発言しようが、個人的に感じたことを話しているだけならかわいいもんです。言っている本人も、ありがたいありがたいと神に手を合わせ感謝こそすれ、他人に黙れといったり威張ったりなんかしないでしょう。自由の本質は、自分の感じた物語を勝手に語っても良いということじゃないですか。

問題は物語がひとびとを動かすために利用され始めたときです。つまり、これから起こることを支配するための物語になったときです。正当化のためか、感動を失いたくないからか、とにかく、物語に動かされると、ボロボロになってもやめません。むつさんのいうように酔っ払ってしまいます。しかも人間は、物語に酔うのが大好きなようです。ストレス発散のおともに呑んだくれているうちはいいんですが、主食にしたら大変です。

こう考えると、われわれが話してきた一義的な物語は他人を支配するアルコール物語なんです。

そうではなく、物語を各自が始めるとき、多義が開きます。開義とでもよべるでしょう。創造とか表現とかがよいとするなら、作品に動かされるときじゃなくて、声の発する瞬間を見るときです。ということで、前回僕がいった「歌唱力」とは、各自が行使する、歌い始める力といいかえてもいいかもしれません。

たとえば、はてしない物語(と、それが指し示すブレヒト)とか、ココルームは、あとづけの物語の力をしめしている作品です。私たちは、声を出せる限り、また、別のお話をいつでも始めることができる。

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6/4 むつ投稿

そうなんですよねぇ。要するに、物語のカラクリを知るために「過去」「現在」「未来」という時間軸で捉えなおす、ということが大事なんや思います。「まわしよみ教科書」で国検定歴史教科書を8冊まわしよんでわかったことは、結局、「現在の視点」から、過去を物語化し、未来を物語化しようとする人たちの貧しさ、拙さを知る・・・ということでした。過去を物語化することと同時に未来を物語化しようとする。自尊史観にしろ、自虐史観にしろ、まったくおんなじことで、その自己完結感、自涜感が日本の近代教育の正体なんですな。ぼくらは「終わりのある物語」を教育されていて、「終わらない物語」があるんだということを(少なくとも日本の義務教育では)教育されていない。それは岸井さんがいうところの「あとづけの物語の力」を知らないということです。「可能性の物語」や「可塑性の物語」が大事で、「物語とはそもそもそういうものである」とわかっていれば、決して怖くない。「果てしない物語」というのは、多義を内在している(語り口、歌い手を無数、誕生させる)ということやと思います。

そういえば思い出しましたが、『日本書紀』ってのは「一書に曰く」だらけなんですな。正式な「本文」があるけれども、そのあとに「しかし別の本ではこう書かれてまして・・・」「ある本ではこういう記述もあるんです・・・」と異伝・異論・異聞をいろいろと掲載している。中国の古代の正史では、こういうことは考えられないそうで、ナン十年、ナン百年も会議して討論して擦り合わせをして、ようやく「ひとつの正史」を書く。陳寿の『三国志』がありながら羅貫中の『三国志演義』もある・・・というのが中国人の歴史観と物語観だろうと思いますが、『日本書紀』というのは、どうも歴史観と物語観を混ぜこぜにしちゃったような日本人特有のミクスチャーセンスを感じます。それだから『日本書紀』は面白いといえますし、危険だともいえます。実際、『日本書紀』に書かれていることを歴史だという人は大体、危ないですから・・・w なにはともあれ「一書に曰く」という多義をどれだけ残せるか?ぼくらの仕事はこれやないか?という気がしています。

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6/6 岸井投稿

なるほど、まわしよみ教科書は、歴史記述の多義性の暴露でしたか。よく判りましたが、宣伝なんかでのはなしぶりが教科書によって記述の差があることを非難している様に思い、誤解していました。みんなが一義だと思っていることに揺さぶりをかけやすいゲームを作りたいってことですね。まわしよみ新聞も、そう言われるとまた、新しい理解が開けますね。

さて、ネヴァーエンディング日本書紀。夢が膨らみます。エンデの『はてしない物語』では、あちこちで、別のストーリーを匂わせて、それに踏み込まず「それはまた別のお話」という言葉が繰り返されるのですが、この言い回しが解読しがいがあるんです。12歳のイニシャル表記するとBBB(僕は、エンデの師匠であるベルトルト=ブレヒトのことに違いないと思うのですが)が、現代社会で「虚無」を発生させる源となっている「想像力」の正しい使い方を発見していくストーリーなんですね。その正しい使い方こそが「それはまた、別のお話」といって、想像力の生産性に任せること、われわれのいう開義ですよ。

本のラストは、BBBが現実において、想像力の正しい使い方を広めていく人になるだろう、という古本屋の店主の予測でおわるんですね。この少年がブレヒトだとするならば、彼の発見した現代社会で虚無感を広めるために使われがちな想像力=物語のあり方とは、感情移入させて感動させるのではなく、読者に現実について考えさせること(異化といいますが)なのでしょうが、「それはまた別のお話」と、そこまで語らずに話をしめています。

日本書紀を、同化じゃなくて、異化の叙事詩だとすれば、それを使ってファシズムを貫徹させようとした大日本帝国首脳はお気の毒としか言えませんね。それで思い出しましたが、明治に、日本の古典として改めて古事記と万葉集が引っ張り出されます。それまでは日本書紀と古今集が主流の古典だったのが、庶民の自己表現を感じさせてこそ国民文学である、と持ち上げた訳ですね。ひょっとすると、このとき嫌われた(というかよくわからないので無視された)のが多義的な文学としての日本書紀と古今集だったんじゃないか。

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6/9 むつ投稿

「まわしよみ教科書」の狙いはひとことでいえば「歴史の多義性」を許容する精神を作りたいってことでした。ただ新聞やって、その後に教科書を取り上げたのは、結局、新聞って積み重ねたら歴史教科書になるやん?・・・という単純な話だったりしますがw 

『日本書紀』は「異化の叙事詩」ってのはおもろいですなぁ~。おそらくブレヒトも『日本書紀』を読んだら膝打って喜んだことでしょう。エンデの『はてしない物語』で興味深いのは、ファンタージエン国の女王には「幼ごころの君」という名前がすでにありながら、BBBは彼女に「月の子」という名前をつける・・・というくだり。そうすることでBBBは「虚無」からファンタージエン国を救う。これは明確に「字」(あだな)と「諱」(いみな)の関係性です。エンデは東洋思想にも詳しい人でしたから、こういう言語感覚を取り入れたんだと思ってますが。

思えば、人間の生には必ず「親」というものがつきものですが、この親というのも色々と種類があって、かつては「産みの親」「育ての親」に「名付けの親」というのがあるわけで、昔はこの「名付けの親」というのは特別な地位にある人の特権でした。「産みの親」「育ての親」よりも強い力を発揮するのが「名付けの親」(BBBはまさしく「名付けの親」です)で。例えば伊達政宗の長男に伊達秀宗というのがいるんですが、非常に優秀な男で、彼は秀吉にも可愛がられて「秀宗(秀吉+政宗)」という名前をもらうんですな。ところが豊臣家が滅亡して徳川の天下となると、長男の秀宗に伊達の家督を譲るということが難しくなる。それは「名付け親」が秀吉であるということで、徳川に睨まれたわけです。結局、秀宗は長男でありながら仙台藩62万石は手に入れることが出来ずに、遠い四国の宇和島で10万石の大名になります。宇和島伊達藩の藩主にしかなれなかった。ちなみにぼくはその宇和島伊達藩の一族の子孫でして、陸奥家の家紋も「宇和島笹」というやつです。ま、これは完全に別の話ですがww いずれにせよ、現代の我々の感覚でいうと、「名付け親」が誰か?で家督を継げないなんてことは到底考えられない話ですが、そういう言語感覚がかつての日本人にはあったということの証左ですな。エンデはやたらと日本好きで、奥さんも日本人ですし、こういう東洋的言語感覚に影響されて、『はてしない物語』を書いたことはまちがいないと思います。

あとエンデのコトバでぼくは好きな名言がありまして。「芸術家の仕事とは、名前をつけることである」というやつ。「名付け」ってのは、まさしく芸術家の仕事や思います。

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6/10 岸井投稿

アーレントが、人間の言論、活動を、生まれてきた事の再演と捉えているんですね。「わたしたちは、この世界に、新しい人として生まれてきた。しかし、その時の記憶はない。そこで、そのあとの人生で何度でも、「自分はうまれてきた○○だ」と繰り返し言う必要がある。それが言論だ」というんですね。言論で示されるのは、話の内容ではなくて、「私はなにものか」という言論の「主語」なのですね。つまり、名前を改めて示す事が、主体者の条件なのです。もちろん、自分が何ものかは自分にはわからない。その代わり、他人にはとても簡単にわかる。ので、ここでいう名付け、というのは、本当に人柄とか正確じゃなくて「名前」だけなんです。名前を示されないと、顔がない。なので、エンデの定義によるならば、アーレントは万人が芸術家になれといっていることになりますw

僕は、諱字2重構造というのは、この「その人が何ものかは他人がわかる事、しかし自分を示すかどうかは本人の決める事」という人間の矛盾を乗り越える為に発達したんじゃないかと感じますね。風評被害とかにあって、名前はけがされスティグマを刻印される。そこで、本名を隠しておく、というようなことです。

さて名付けることだけが芸術家の仕事と変更したのはデュシャンです。それまでは産みの親=作者だったのが、以後、名付けの親=作者になりました。といっても、ここにもうひとつの企みがあって、それは、物体からの解放です。彼はアートを体験にしたわけです。体験は所有できません。従って、親はいなくなります。権力構造を解体したんですね。残るのは、ただ、解釈をする力が平等にあると信じ、信じられた複数の人たちです。

多義性を支えるのは「人皆違う、しかし解釈は各自している」という意見ですよ。この自由とは一切の権力関係から解放された自由でもある訳です。

その平等が、虚無となって世界を滅ぼすか、創造力となって世界を救うかがエンデの問いだとして、諱字2重文化は、その新しい関係を提示しているんじゃないでしょうか。何故なら、諱=本名、と、字=通称、説明を繋ぐ別のやり方のようです。ぶっちゃけ、茶道も文楽も歌舞伎も歌会、西洋とは違う主体の現れ方を示している様に思えてなりません。

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6/11 むつ投稿

ぼくは一時期、マスメディアにいた人間として大衆社会論のようなものを齧って、中でもオルテガの『大衆の反逆』のアイロニーに痺れましたが、アーレントの『人間の条件』は、同系統にあると思っていて、そのあいだに横たわっているのが第2次世界大戦、アウシュビッツ、ホロコーストの人類の大愚行です。『大衆の反逆』はまさにヒトラー前夜の予言かつ警鐘であったし、『人間の条件』はヒトラー以後の啓示かつ指標だと思ってます。オルテガもアーレントも、ともに素晴らしいのは「人間は主体的に生きることができるのだ」ということを証明したことでしょう。オルテガは精神の貴族主義、魂のエリートによってそれが為せると考え、アーレントは古代ギリシャのポリス人のような公共によって為せると考えたわけで、オルテガは心理主義的で、アーレントは制度主義的ですが、確かに「内的要因」や「外的制度」によって、人間は人間になるわけです。これは両輪ないと機能しないし、また「諱」(内的)や「字」(外的)という「名付け」も、またそういう位置づけなんだろうと思います。人間存在は諱だけでは不安だし、字だけでも不安です。諱と字の2つが揃うことで、初めて人間社会というのは安定的な場となる。

デュシャンは笑えますなww これは簡単にいえば芸術作品が「モノヅクリ」から「コトヅクリ」になったということだろうと思いますが、こうなったときに非常に重要な問題は岸井さんがいうように「産みの親」がいなくなるということ・・・つまり芸術の継承、「縦軸の共有体験の喪失」という問題です。モノというのは継承しやすいんですな。アーカイブしやすい。だからでこそ芸術というのは時代的に発展してきた経緯があります。しかしコトというのは「聖なる一回性」であり「横軸の共有体験」に属するものなので、なかなか他者や次世代に継承することができない。デュシャン以降、芸術の「作品(モノ)主義」は停滞したと思うし、しかし「作家(コト)主義」が蔓延することで、じつは我々は「縦軸の共有体験」をなくしているとも感じています。これがじつはエンデが『はてしない物語』で訴えた「虚無」に繋がるんやないか?とも思うんですな。BBBが「幼ごころの君」に「月の子」と名付けることは、一種の縦軸の権力構造下(月の親の下)に女王を位置づけるということでした。そうすることで再生する力もあるということをエンデは示唆しているように思えます。

あと、茶道や文楽、歌舞伎、歌会にしろ、日本の伝統芸術の世界にはよくあるんですが、「なんとか○代目」というやつ。これ、完全に「縦軸の共有体験」だという気がしてます。師匠、先代、先先代と「同じ名前」(これはしかし諱ではなく字として、です)をつけられるわけですから。こういう風にすることで、日本の伝統芸術は、空間的な「横軸の共有体験」を、時間的な「縦軸の共有体験」として継承してきたのでは?という気がしてます。

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6/13 岸井投稿

日本の縦軸の共有体験を支えてきたものは『田んぼの記憶』ではないでしょうか。雑木林あり、川あり、草葺き屋根の家あり、と、人間がいなくなれば1月ともたない景色に、昔懐かしい、古くから続く、先祖伝来の永遠性を見る。その景色をその形にしたのは、そう見ている本人ですから、冷静に考えるとオカシな話です。つまり、田んぼの設計図とその制作能力の継承を、永遠と呼ぶわけです。○代目、というのは、その「設計図+制作能力」の○代目ですよね。日本人は、この震災と台風のスサノオの国に住む為に、縦軸を、物ではなく事でやってきた。

芸術が作品主義から作家主義に、モノからコトにいくときに、日本が注目されるのは、そういう事情があるからです。しかし、地震がないなら永続性の維持はモノで充分なわけで、西洋も震災にあたるものを被ったんですね。それが消費社会化です。消費のパワーはすごい。人間がやっているから見落とされがちですが、地震とか台風とかと同じ、大自然の力ですからね。まず、これが虚無を招く。西洋人がそれまでやってきたような、物で作った縦軸はなんでも消費され、破壊され、意味が変えられる事になった。その対策こそが、20世紀初頭の芸術にかせられた課題でした。たとえば、抽象化は消費をさけるためです。しかし、デュシャンがやったのは、もっとアクロバティックな技でした、消費材を永遠に変えてしまうことです。便器を美術館に陳列してしまえば消費ではなくなる。名付けの技ですよ。便器にサインをmuttですからね。まぬけ、と自称するものは、一種の権力構造下にいるわけです。実はコスースからウオーホールからリレーショナルアートにいたるまで、消費されていく日常を永遠化するアイデアが現代美術史といえるでしょう。

しかし、やっぱり陸奥さんの言う通り、上記は設計図=イデアのアートです。我々日本人からすると、技術の継承なくしてコトが永遠化したとはおもえません。もちろん、現代芸術にも、制作能力を考えた系譜はあります。たとえば、素材の性質をどの位抉ったのかがアートの価値だ、というグリーンバーグに代表される考えですね。ポロックとか、ジャスパージョーンズとか、クラインとかね。しかし、媒体が多様になる(映像とか音楽とか1人でいろいろいじれるようになる)とこの考えは維持が難しくなって、グリーンバーグの弟子筋のクラウスという人が「テクニカルサポート」と言い出す。現代のマテリアルは全て、テクニカルサポートがくっついているので、そこまで利用しての、素材への習熟だw、という考えです。

まとめると、現代アートが日本に注目するのは、消費社会において永遠なるものを作ろうとするとき、スサノオ(台風と地震)の下でテクニカルサポートを続けてきた国の文化が役に立ちそうだ、ということです。

エンデの欠点は、面白すぎて消費されてしまう事です。物語や作家の魅力にたよった作品は、趣旨がいかにアンチ消費でも、結局消費されてしまう。で、その消費=人間の中の自然に抵抗することが人間性にとってとても大事だと指摘したのは、アーレントであり、オルテガでしょう。しかし、彼らはやはり、物(身体)か精神(心)を永続させようとした。ただ、わたしたち日本人が、自然の中で、人間が生きる世界を維持するために考えられた設計図+制作技術はそれとはちょっと違う。さらに加えて、自然をじっくり眺める伝統と、歌は自然をも動かすという考えがありますね。

諱は、自然とつながるんじゃないでしょうか。

その上での設計図+制作能力だ、ということをシェア野草とか葬食をやっている陸奥さんにお伺いしたいですね。

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6/14 むつ投稿

ぼくも日本の縦軸の共有体験を支えてきたものは「田んぼ」と、あと「おかいこさま」だと思ってるんですww 

(何度もご登場いただいて誠に恐縮なことではございますがw)天皇家というのは古来より、主に3つの仕事がありました。諸外国の大使と会うとか国際親善交流とか、あんなのは別に天皇の仕事でもなんでもなくて大臣クラスでええんですが、天皇のほんまの仕事とはまず1つは歌を詠むことで、つまり「歌会」を開くことですな。2つめはこれは天皇陛下(男の皇族)の仕事なんですが、それが「田植え」です。実際に天皇陛下は、いまだに毎年、ご自身で田植えというのをやりはりますから。3つめが、これは皇后の仕事なんですが、それが養蚕で、おかいこさまを飼うことなんですな。実際に東京の皇居の中にはご養蚕所があって、そこでいまも皇后陛下がおかいこさまを飼っておられます。「歌」と「田んぼ」と「おかいこさま」。やっぱりこの3セットは、日本民族として外せないキーワードやとは思います。

それで、養蚕というのは、結局、田んぼにできない荒蕪地の、土地の有効利用であり、また「現金収入」という意味合いも強かったようです。田んぼにできない土地でも桑さえ育てることができたら、それで養蚕が可能ですから。そしてそこでとれた糸を貨幣に交換する。「米」と「貨幣」と、2本立てで、日本人は生計を立てていて、これは要するにリスクヘッジですなw また米というのは不思議な植物で古米、古古米、古古古米、古古古古米と、保存さえちゃんとやれば、2年3年4年ぐらい平気で持ちますから。貯蓄できる換金植物なんですな。貯蓄なんて経済効果としては百害あって一利なしなんですが、日本人がやたらと現金を使わずに、保存して保存してタンス預金にするのは、結局、「米」とカンチガイしてるんやないか?とぼくなんかは思ってます。こういう習性はなかなか抜けないですなぁ。

東北がいまだにやたらと「おしらさま信仰」(これは馬とおかいこさまの神様です。昔は馬小屋でおかいこさまを飼ってましたから。また東北にとって馬というのもリスクヘッジでした)が強いのは、米を作るということのギャンブル性が非常に強かったからですな。米というのは温帯の植物ですから東北なんて寒いところで作るのは難しい。しかしそれを徳川時代に、幕藩体制時代に、強制されてしまった。もともと、東北は雑穀(ヒエ、アワ、キビなど)を作っていれば最適地で、決して人民が飢えるなんてこともないのに、そこをむりやり米作地にした結果、起こったのが大飢饉です。母親が泣く泣く我が子を煮て食べるというような悲惨な状況すら生まれてしまった。これも江戸幕府という中央政府のいいように東北が使われたからで、いまの福島原発の状況と、あんまりかわりません。そして米が採れないとなったときに、なんとか生き抜くことができたのは「おかいこさま」と「おうまさま」のおかげで、つまり「おしらさま信仰」の背景には、「米」を押し付けられたという東北の民の怨恨があります。「田んぼの記憶」というときに、ぼくはこの背景を抜きにしてはいけないと思っていて、それだからでこそ、東北の「田んぼの記憶」は美しいとも思うんですな。この永遠性は東北の民の悲願であったと思うし、しかし、これは「人間の中の自然」(福島原発と同系統であるということです)であるということは、忘れてはならないことやと思います。これは要するに岸井さんからも「テクニカルサポート」というコトバがでてきましたが、まさにテクネとアートの問題なんやと思ってます。

牧歌的な古代ギリシャ人たちは、そもそもテクネというのは「自然の中の本質を働かせる術」という意味で使っていたんですな。ところがそれがローマ時代に移ると、古代ローマ人というのはポリスの人間、都市の人間ですから、テクネというのを「都市(人工の自然美)を作る人間の卓越した術」とカンチガイして、それをアルスと名付けた(このアルスこそがのちにアートの語源になります)。テクネとは「自然を生かす技術」であり、アルスとうのは「人工の自然美(要するに田んぼです)を作る技術」ということは、まったく違った、正反対の意味になります。我々は現代のテクノロジーの最先端であるはずの原子力発電所を、じつはアルスのように扱いました。ほんとうはテクネのように慎重に、丁寧に、誠実に扱わないといけないのに・・・です。そのしっぺ返しがあの311だろうとも思ってます。551は豚まんです。重い話題なんでギャグってみました。

岸井さんがいうとおり、消費社会というのは、明らかに「人工の自然」(アルス)です。田んぼや福島原発と同系統に消費社会というのがあるわけです。それに抵抗しようとデュシャンやウォーホールのような「消費材を名付けによって抽象化=永遠化する」という方法論は、わからなくもないです。福島原発を「福島原発神社」にしようというのが同じような発想でしょう。しかし、それだけでは不十分で、それと同時に必要なことがテクネ(自然を生かす術)を考え直すことなんだろうと思います。ここで立ち返ると、ぼくは田んぼというのはアルスであると思ってますが、じつは養蚕はテクネではないか?とも思ってるんですな。日本人にはその伝統と文化、蓄積されたノウハウや可能性があるはず・・・と思っています。

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6/14 岸井記

お蚕さんの話になりましたね!というところで、僕は実は前回陸奥さんと、アースで、日本書紀の「常夜の虫」のはなしをしたかったのです。日本書紀のこの下り、なんど読んでも気になります。

大化の改新の前夜、644年。富士山の麓で、新興宗教が起きます。蚕さんそっくりの虫(恐らくアゲハチョウの幼虫)を神と崇める一族が人々を騙しました。それで、機織り一族である秦氏が彼らを征伐します。

このはなし、いろんな見方ができますが、当時は養蚕はもはや一般的だったはずですから(弥生人は稲作とともに養蚕をしている)偽お蚕様宗教でしょう。逆に言うと、この時点で蚕神、おしらさまとかコカゲ神は成立していたんじゃないか。で、それをまつっていたのが秦氏であったんじゃないかとおもうんですね。

この新興宗教のご神体が常世の虫です。で、常世というのは、変わらない世界のことですね。浦島太郎の竜宮城とスクナビコナの死後赴いた先で、海の向こうにあるとされた。その世界からの虫ですよね。そうすると、この神はえべっさんの仲間であるマレビト神だといえると思います。そして、スクナビコは命名の神様。

常世、私たちの議論とつながりそうだな、と思いました。

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6/21 むつ投稿

すいません。いろいろと東京いって大阪帰ってきたらドタバタでなかなか更新できませんでした。またボチボチ再開したいと思います。

おかいこさま、常世神の話をつなげましょう。なんで秦氏と常世神の一派がケンカしたか?じつはおかいこさまこそが常世の象徴だったからです。というのも、おかいこさまは幼虫の頃の姿形が「うじむし」に似ています。蚕と蛆ってまったく違う生き物ですが、じつは古代人はこの2種の虫を混同していたらしいんですな。

蛆というのはご存じの通り、死体から湧いてでてきます。それで、おかいこさまもカンチガイされて、「死体を食べて糸を吐く」という存在として崇められた時代があったようなんですな。「おかいこさま」こそが「常世(あの世)の虫」として認識されていた。だから644年の新興宗教団体の「常世虫」が何を指すかは諸説ありますが、秦氏が妙にムキになって新しい民間宗教の「常世虫教」を成敗したのは、完全に同系統の神様であると認識したからでしょう。ちがう神様ならスルーされていたと思います。

また「富士山から発祥した」というのも秦氏からするとカンに触ったと思いますね。「富士」は「不死」(常世)の象徴であり、また「不二」というイメージにもつながって、「我々(常世神教)こそが唯一不二の不死の神である」という宣戦布告のようなものでしたから。これは弾圧されてもしょうがないかな?と思います。

なにはともあれ、おかいこさまが、死体を食べて糸を吐く存在とカンチガイされていたというのは、ぼくは非常に面白いカンチガイだなと思っていて、つまり、おかいこさま信仰には「死と再生」という多義的な性格を持っていたということです。またおかいこさまは正直、グロテスクな姿形ですが、つまり醜神でありながら、美しい糸を吐く・・・というところもユニークです。まるで「美女と野獣」が同居しているかのようで、神秘性を帯び、不思議な神として畏敬されたと思います。

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6月24日 岸井投稿

蚕とウジ、確かに一番小さいときの蚕はウジに似てますね!
僕も、この話、死と再生がキーになると思っています。ところで、死を乗り越えるにも、いくつか系統があるんじゃないか。たとえば、不老不死と転生は違います。常世は、不老不死でしょう。一方、古事記の死後の国、根の国は転生のイメージでしょう。

僕は、古事記でウジっていうと、イザナミの死体にたかるウジを思い出します。妻に会いたくて黄泉の国までいったイザナギは、そこで腐敗してウジにたかられる妻をみて逃げ帰ってくる。この場合は、死に取り込まれそうになる、たとえば自殺しそうになったとき、本当の死に出会って、恐怖のあまり逃げ帰ってくることをイメージします。これも死を乗り越える話ですね。そのあと、イザナギが汚れを洗い流し、腐敗老化死別を乗り越えた時、三貴神(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)が生まれます。死からの創造、あるいは、誕生です。

さらに、スサノオがやった悪い事は、「田んぼ」と「機織り場」を荒らす事、ですから、弥生人の生活を滅茶苦茶にしたんですね。ここに、機織り場がでてきて、しかもスサノオの悪さで、機織りの女性は性器にヒをさして死んでしまいます。イザナミの死因も難産で性器が灼かれてですね。出産は昔も今も命がけだったのでしょう。この悲しみを乗り越えるための再生が天岩戸です。ここでは、宴会により機嫌を損ねた女神の再生であり、夜から朝への転生ですよ。

テクネもアルスも、ほっておけば死んで行くものに命を与えたり、長持ちさせたりする術です。つまり、アンチエイジングなわけですよ。なので、ウジこそはテクネやアルスの敵を現す、わかりやすい象徴ですね。さらに蚕の脱皮は、お肌のリフレッシュですから、アンチエイジング術です。

僕は、常世っていうのは、アンチエイジングのバリエーションの中でも、特殊なものに思えます。不死がどこからきているのか。やっぱりそれは富士だろう。しかし、こんな転生の文明の中に、どこから不老が入ってきたのかと、いぶかります。

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6/25 むつ投稿

この公開チャット、だんだんと『新釈古事記』『新釈日本書紀』みたいになってきましたw まぁ、日本とはなにか?日本人とはなにか?って考えると、どうしても記紀神話をやらざるをえないんでしょうなぁ。

ぼくが「死体から再生」と聞いて、記紀神話で思い出すのはオオゲツヒメ(古事記)とウケモチノカミ(日本書紀)のエピソードですかね。古事記では高天原を追われたスサノヲがオオゲツヒメに助けられますが、その饗応の宴会で出された食べ物がじつはオオゲツヒメの吐瀉物や排泄物で、それを知ったスサノヲが逆上してオオゲツヒメを殺すと、オオゲツヒメの死体の頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生まれた・・・という有名なエピソードで、俗にいう食物起源神話ですな。

これが日本書紀ではスサノヲではなくてなぜかツクヨミのエピソードになっていて、アマテラスの命令でツクヨミがウケモチノカミと宴会しますが、その宴会で出てくる食べ物がウケモチノカミの吐瀉物(排泄物はなくなっている)。それを知ったツクヨミが逆上してウケモチノカミを殺すと、ウケモチノカミの死体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれて、それをアマテラスに献上すると、アマテラスが大喜びするというものです。

「宴会」「ツクヨミ(中空構造)」「稲(米)」「蚕」「死と再生」と、我々の公開チャットでの展開されたテーマがふんだんに盛り込まれている、非常に興味深いエピソードです。また面白いのが『古事記』と『日本書紀』では再生する食べ物が違うんですな。両方ともに共通するのが「蚕」「稲」「粟」「小豆」「麦」「大豆」ですが、古事記より日本書紀のほうが数が増えていて、「牛馬」「稗」が新規に登場してます。なんとなくぼくは、税金をかけるために数を増やしたんではないか?と思ってるんですが。要するに天孫族(スサノヲやツクヨミ)のおかげでこれらが民衆に供されるようになったのだから民衆はそのアガリから税金を払え!というような理由付けをされたのではないか?ということです。大体、無能な政府がやることって増税ですからw

いずれにせよ死体から食物(米にしろ蚕にしろ)が誕生するというのは、それほど不可思議な信仰ではなくて、よくある神話体系ということですな。これは岸井さんがいうように「転生」に繋がる死生観だろうと思います。日本人に判りやすくいえば、仏教的(仏教以前の、ジャイナ教もそうですし、むしろ人類の古宗教に近い信仰でしょう。ネイティブ・ウィズダムだともいえます)といえます。

それに対して「不老不死」に代表されるような「常世」の死生観は、これはいみじくも岸井さんがいうように、やはり「富士」だろうと思います。つまり「自然」です。日本人の自然観は『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉がぼくは端的に表していると思っていて、これは川や水は変わっていくが、しかし、ここには「流れ」という現象そのものは絶えない=変わらないという確固たる実存的観念があると思ってます。河とはなにか?それは「水」そのものではなくて、「流れ」である。これは永遠不変のものだ・・・という「不死(不二)の自然観」ですね。

そもそも「転生」も「常世」も、当然ながら観念上の話ですから。その観念の由来は、ともに自然に起因するものだと思います。

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6月26日 岸井投稿

そうか、オオゲツヒメとウケモチノカミの差異を考えるのは面白いですね。

僕は、昔、自分が興味ある稲荷(=ウガノミタマ)と弁天(ウガジン)の両方に「ウガ」がついているのが気になって調べたことがあるんですが、これ、「ウケ」のことで稲とか食べ物を現す古語なんですね。食料神2柱、オ「ウゲ」ツヒメ、「ウケ」モチノカミにも当然「ウケ」がついています。われわれと関係がある所でもう一柱、お伊勢さんもトヨウケです。日本人は、「ウケ」を何重にも神格化し、しかも、重くまつっています。

今までスルーしていたんですけど、このウケ=食料の神の体から、蚕が出てきているのは、可笑しいですね。蚕だけ食えません(食えない事はないですが、、、)。日本書紀で増えた3つですが、もちろん牛馬は食うためのものというより農作業用で、稗はまず飼料でしょうから、食いませんけど、農耕とセットでしょうからまだわかる(課税説は賛成します。)とするなら、蚕の「食べられなさ」はやはり特徴的です。税金とするにせよ、衣類の原料とするにせよ、麻が入ってきそうなものです。

仮設1 この話ハイヌヴェレ神話ですから、死と再生のイメージが入っているでしょう。で、蚕には陸奥さんのいう、死体を食らい絹をはくイメージがあるでしょう。なのでここに入るのでしょうか。蚕そのものがハイヌヴェレって解釈ですね。

仮設2 弥生文明というのではどうでしょう?麻布は縄文から着ています。南中国から渡来したものばかりです。しかしそうすると、鉄とかもうちょっと決定的なものが入りそうですね。。。

仮設3 ウケは稲や食料というより、生物に対する労苦の成果物、という解釈はどうでしょう。ウケモチからでている食べ物、それなりに手間がかかる農作物ばかりです。

このウケが転生と繋がるとするなら、常世神教は、手間を書けない自然を相手にしているということになるのではないか、と思いました。

僕は、林は生やしている(人間の手が入っている)からハヤシ、森は盛りっとしていて人間の手が入っていないからモリという説が好きです。転生=ウケは林を作り、常世=フジは森を祭る。そう考えると、2つ前の644年の富士vs秦氏の争いは、お蚕さんがどちらに所属するのかの争いなんじゃないかと思えます。

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6/27 むつ投稿

あ。そうか。弁天さま=宇賀神ですから、そういえば「ウケ」ですね。それは気づかなかったなぁ・・・。これは要するに芸能でも食べていけるってことでしょうかね?w

確かに蚕は食べる地方もありますが、日本ではそれほど一般的ではないですね。だからオオゲツヒメにしろ、ウケモチノカミにしろ、一般的には「食物の神様」ですから、この中に蚕がはいってるのは意味深ですな。岸井さんの仮設1も2も3も、いずれも正解という気がします。

鉄に関しては、イザナミが死の間際に苦しんで、そのときの吐瀉物から金属神カナヤマヒコとカナヤマビメが生まれた・・・という話なんで、やはり「死と再生」のイメージは濃厚です。そもそも鉄は燃やして(殺して)、何度でも叩き直して(命を吹き込んで)、新しい造形物に作り直せますからね。これほど「死と再生」のイメージが直結する物体も珍しいと思います。

あとカナヤマヒコとカナヤマビコと同時に「ハニヤスビコ」と「ハニヤスヒメ」という埴(ハニ)の神が生まれているのも個人的には注目したいところです。岸井さん、鉄を作りたいといってましたが、ぼくは埴輪を作りたいんですよねw 鉄と埴も、死者の埋葬につながっていきますから。それは死者を再生させるための道具です。

「ハヤシ」(これは弥生文化のコトバというイメージがありますね)と「モリ」(こちらは縄文文化の畏敬の対象という気が)というのは「アルス」(ローマ都市文明)と「テクネ」(ギリシャ牧歌文明)の話にも通じますねw ぼくは養蚕というのは要するに「ハヤシ=アルス」でもあり「モリ=テクネ」でもあるから面白いなあと思ってまして。人間は蚕によって絹を得ますので「おかいこさま」という神様として崇め奉りますが、蚕というのは自分では生きれないほどに退化してしまったので、自分だけではエサもとれない。人間が世話をしないとあっというまに死んでしまって絶滅してしまう。つまり蚕にとってみれば人間も「おにんげんさま」という神・・・という相互補完の関係性なんですな。そうやって5000年以上の長きに渡って「おにんげんさま」と「おかいさま」はこの天変地異の世界を生きぬいてきた。

個人的には、自然と人間の共生の、ひとつの理想形が、ここにあるのでは?と思ってます。テクネとアルスの合一です。

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7月1日 岸井投稿

アルスとテクネの合一!こないだ、延藤先生ともそんな話になりました。ちょっと長い返信します。まあ、6月13日の話を、ちゃんとやり直しているだけですが、我々は一回この話をトコトンやったほうが良いような気がします。

「いきの構造」の九鬼周造は、アルスとテクネの合一としての日本文化を語っている、と僕は解釈しています。『時間の観念と東洋における時間の反復』坂本賢三訳から引用していきます。

「五年前東京の大半を破壊した大地震(岸井注:関東大震災)の直後、我々は東京に地下鉄の建設を始めた。その時私はヨーロッパにいた。私は、「何故日本人は百年毎にほとんど周期的に襲われる大地震に繰り返して破壊される運命を持った地下鉄を建設するのであるか」という問いを受けた。私はこれに答えた。「我々日本人の関心は企図そのものにあって目的物にない。我々は今地下鉄を建築しようとする。地震がこれを破壊するであろう。しかし我々はまた新しくこれを建築しようとする。新しい地震がまたもこれを破壊するであろう。然り。而して我々は常に再び始めるであろう。我々が尊重するのは意志そのものなのである。自己自身の完成を求める意志なのである。」

これ、原文はフランス語で、当時20代のサルトルが聞き手です。このときのサルトルの交友関係にアルベールカミュ(多分20歳!)もいたので、カミュの「シーシュポスの神話」っていうのは、つまり日本人のことだろう、九鬼の盗作でノーベル文学賞とりやがって、と本気で思ってますが、それはともかく、九鬼は、台風と地震の、つまりスサノオの国では、堅固な建築物による世界の建設よりも、挫けず建築する意志の方が大切だというんですね。

以前このチャットでもだした、アレントは、こういう「意志のみによる生命過程への対抗」を笑い飛ばします。たとえば、

「ヘラクレスの「労働」は、それが一度限りのものであるからこそすべての偉業と並び称されるのである。しかし不幸なことに、一度だけ努力がなされ、課題が達成されれば、以後ずっと清潔を保っていられるのは、ただ神話上のアウゲイアスの馬小屋だけである。(『人間の条件』第十三節「労働と生命」)」

ヘラクレスの偉業の一つに、神の馬小屋の大掃除というのがあって、これが馬糞で汚れていてだれも近づけない。それで、ヘラクレスは川の流れを変えて掃除した、という乱暴な話です。僕、この話きくと、いつもスサノオの悪さを思い出しますが、それはともかく、アレントの言うのはもっともなんですよね。ではしかしそれならなぜ、日本の田園風景は永遠の時間維持されるのか。それは、常に世界を建設し続ける美学と技術があるからです。九鬼の引用を続けますね。

「以上を摘要する。東洋的時間と呼び得るものは輪廻の時間である。換言すれば反復する時間であり、周期的、同一的な時間である。」

「生きんがために、真に生きるために、真と善と美との苦しき探求の無限の反復にあって時間を恐れないことにある。不撓不屈、もって不幸を幸福に転じ、永久に我々の内なる神に従わんことを勇敢に決意した道徳的理想主義の現れである。」

ここで九鬼が言う「生きんがため」「真に生きるため」の「道徳的理想主義」とは、いうまでもなく「いき」のことです。で、その下で育まれた技術とは何かというと、永続する世界を作る技術でなくて、周期的同一的な世界のイメージを維持する技術です。日本の風景は、いつでも台風や地震によって無に帰するけど、それすらも周期の一部とみなし、復旧復興させ、世界を常に仮設し続ける技術ってことです。まちなみの保持ではなく、技術の永続性をもって、永続性とする。なら、定期的に実践しなければ後世に継承できない。そのため、天災によって建築物が破壊されなくとも、わざと周期的に新築を繰り返し、技術の維持に勤しむ。このチャットでずっとあがってる遷宮はその象徴ですね。同じ目的物をいつでも建てられる技術の保持こそが日本では重要視された。

永続する世界を維持する技術という意味ではこれはアルスですが、アレントはこれは自然を取り扱う技術でテクネーにすぎないと言うでしょうね。つまり、その合一です。

しかし、それって、人体をイメージの下、目的の下に位置付け、物扱い、素材扱いするのを良しとする立場でしょう。日本人がお上のいうなりで、なんてのもここからきているんではないかと思う。私たちは、つねにいつも復興中なので、世界建設と維持が一番大事だ!個性とか言わずに全体の目的に従え!という考えも、ここから来ているんじゃないかなー。

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7/8 むつ投稿

すいません。一度、投稿を書いたら、それが飛んでしまって、萎えてしまい、さらにやたらと日々忙しくて、なんだかんだで一週間ほどたってしまいました。

岸井さんがやっていたアーレントと九鬼のボットってめっちゃおもろくて。このふたりが会ったら、さて、どんな化学反応が出たんやろうか?ってほんまに思いますな。しかしそれが岸井大輔の中で起こってるわけで、そら恐ろしいことですww

いろいろと思うとこはあるんですが、ぼちぼち大阪七墓巡りのイベントも近いので、その辺の話に強引に結び付けておこうと思います。

日本人はやたらと死者を弔います。正月や大晦日には先祖参りをする。春と秋にはお彼岸なんてのがある。8月は盆で、終戦記念日で、もう日本国中が喪に服します。さらに「命日」や「月命日」なんてのもある。祖父、祖母、父、母にそれぞれ命日があり、月命日なんてお供えしていたら、もう訳がわかりません。365日、1年中、毎日毎日、日本人は死者を弔っているといっても過言ではない。実際、日本全国に約5万店ものコンビニがありますが、そのレジカウンターの前には必ず「おはぎ」や「みたらしだんご」がおいてます。これは墓前に、仏壇にお供えものをする人があまりに多くて、「あ。そやそや。仏さんにお供えもんしとこ」とみんなが買うので、そういうことになっている。これほど日常の中に死が織り込まれている生活文化はないと思うんですな。なんでそんなことになったのか?

芥川龍之介の『侏儒の言葉』だったと思いますが、「この世は地獄以上に地獄的だ」というのがあります。地獄というのは一定している。針地獄にしろ、釜ゆで地獄にしろ、おんなじことを繰り返しているだけだから飽きると。しかし現世はそうではない。幸せだと思っている次の瞬間に、なにか恐ろしいことが起きる。浮き沈みがあって、予測できなくて、良い時と悪い時が訪れるから(訪れないときもあるから、なお苦しい)、地獄以上に苦しいと。人間の真理をついてると思います。

じつは日本という国土は、温帯モンスーンで、森林が豊かで、水も豊富で、島国だから外敵も少なくて、一見して天国・極楽みたいなところです。ところが、この国には台風や地震や火山やらといった突発的な地獄がいきなりやってくる風土だった。天国みたいな場と、地獄の時間が予測不可能にやってくる・・・という落差、ギャップがある。ユダヤ、キリスト、イスラムといった宗教を産んだ地域は要するに「砂漠」で、砂漠は生きていくには非常に厳しい自然環境ですが、ある意味「一定の風土」です。だから慣れることもある。自然はじつは人間を裏切らない。しかし、日本の「不定の風土」は、人間を容易に裏切ります。それは砂漠以上に恐ろしい。日本の風土は、じつは砂漠以上に「地獄的」だということです。こう考えると、西洋と日本では、自然と人間(文化)の関係性はかなり違うといえる。西洋人のいうテクネとアルスと、日本人のいうテクネとアルスというのも同じように変わってくる。アレントがいうテクネが、九鬼のいうアルスと、反転して、同じことになっているのかも知れない。そういう帳尻を合さないと、先に進めないという気がします。これは大げさにいえば(ぼくの話は大体、大げさですがww)、人間とは自然のなんであるか?という大前提が問われている話です。われわれは自然の敵か?ウイルスか?いや人間の全活動も包括しての自然ではないのか?では自然とともに生きる人間とはなにか?もはや自然は人間の隷属でいいのではないか?じつは自然と人間は、有史以来、そういう関係性でしかなかったのでないか?結局、自然と人間は共存できないのではないか?自然は王か?人間は王か?そもそもそんな対立構造なのか?

なにはともあれ、砂漠以上に地獄的な風土に生きている日本人は、それだけに、「不定こそ一定」という概念に到達したし、その風土の犠牲者である死者たちに、いろんな意味で縋ったと思うんですな。菅原道真公がなぜか雷になる。よくよく考えると不思議なことで。死者を弔うことと自然を崇拝することが合一しているのも日本人やという気がしてます。大阪七墓巡りをやるにあたって、「死者」と「生者」の交流に、「自然」というものを入れ込まないといけないのではないか?・・・どうもそこは外せないという気がしてきました。

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さて、いろいろと、書いてきましたが、ぼちぼちマトメに入るころではないか?と思っています。7月14日にイベントをやるにあたって、最初にこの公開チャットをなんとか形にしたいと思うんですが、岸井さん、どうでしょうか~?

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7月8日 岸井投稿

なるほど。去年の24時間トークイベント「如是我聞」の宿題「テクネーと、死者も含めた民主主義」に繋がりましたし、宿題には答えているように思えますね!僕らは、このチャットで、日本で知らない人とも場を共有する方法、日本における公共のあり方を探ってきたのではないか、と思います。

提案ですが

1 今年の24時間トークイベント(おそらく12月24日@おうてんいん)のテーマを「死者を含めた公共空間」とするw
2 7月14日は、この公開チャットの要約をし、1の公開企画会議とする

のではいかがでしょう。オッケーなら、まとめ係として、7月14日に、キーワード集を作って最初に発表させていただきます。いかが。

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7/8 むつ投稿

レスが早い!ww 壮大な公開打ち合わせでしたね・・・。この公開チャット、なんとなくですが、岸井さんが「まとめ」、ぼくが「ばらし」というような役割がなんとなくあったように思います。なんでも回収する岸井さんに驚きましたww 個人的にめっちゃ自分の中のテーマが整理されてよかったんですが。

よろしくお願いしますm(_ _)m

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