「愛と青春のカセットテープ編集の日々」と「まわしよみ新聞」

新橋の喫茶ルノワールにて。日本酒一升瓶開けて飲んで、ほぼ失神して起きた翌朝の冷コーは最高に美味。

昨日は日本新聞協会さんからのご依頼で、オアゾの松田さんにインタビューされました。

1978年生まれのぼくは例えば「自分の彼女に聞かせてあげたい」と、お気に入りの曲を集めてきて、それをカセットテープに吹き込んだ、おそらく最後の世代です。カセットテープは長さ60分(のちに80分、90分、120分とか出るけどすぐテープが伸びて劣化する)。ところが自分の好きな曲が多すぎて60分には収まらない。1曲目はあの曲で、次はこの曲で、A面(←勝手にA面B面を意識してるw)の締めはこの曲で、B面はとっておきのあの曲から始まって、ラストは例の曲やな。よしカンペキ!って思って曲の長さを計算したら60分超えるがな!うあああああ!どの曲を削ればええねん!?・・・なんてことを必死になってやった青春時代はアホらしくも眩しい。

これ、カセットテープやのうてMD時代、CD-R時代にも似たようなことをやってましたが、基本、こういう経験はいまの若い子にはあんまないんですな。音楽を聴くのもデータ交換で済む時代。アイフォンにしろアイパッドにしろPCにしろ厖大な容量がありますから、何千曲、何万曲とデータにして入れることができる。その結果、なにが起こるか?というと、あの「うわあ!60分で収まらない~!」とか「60分でカンペキに15曲が収まった!俺ベストの名盤や!」みたいな「編集」の面白さや楽しさ、充実感がないわけです。

みんなでお互いに自分が興味・関心をもった記事を切りぬいて集めて、それを四つ切画用紙の中に編集していくというまわしよみ新聞は、まさしく編集の面白さ、楽しさ、充実感ってのを感じるメディア遊びで。若い子らにまわしよみ新聞がウケているのは、こういう編集遊びをあんま経験してないからやないか?という気もします。また「どうやってまわしよみ新聞を思いついたんですか?」みたいなことをよく聞かれるんですが、この発想の原点には、おそらくぼくの十代後半の「愛と青春のカセットテープ編集の日々」なんかも深層心理の中では影響していると思いますな。

・・・みたいな話をして松田さんと盛り上がりました。松田さん、同級生でしてw こういう話が通じたのがよかったですw