まわしよみ新聞は「逍遙する対話の場」です

凡百のワークショップには「本日は○○!」といったテーマがあります。テーマがあることで結局、知識合戦やヒエラルキーや序列が産まれる。

まわしよみ新聞にはテーマがありません。気になった記事、おもろいと思った記事を切り取って、それを提示しながら話をする。だからAさんの記事とBさんの記事には何の関連性もない。ただ突散らかるだけ。常に話は横滑りし続けるだけ。しかし、だから、面白い。

これ、「会議」と「お茶会」の違いに似てます。基本的に男性ってのは会議が好きなようですな。テーマを決めて、議題を決めて、それを追求していく。要するにビジネス的な発想です。より速く、スピーディーに問題を解決したい。これはしかし「解決できない問題」にはとても弱いんですな。場が停滞し、煮詰まり、息が詰まり、大体、鬱病になりますww

お茶会は、あえていえば女性的な対話の場です。テーマを煮詰める気なんてまったくない。ただ、いろんな話題が次から次へと転がっていく。無目的で、ゴールがなく、ただ逍遙(ぶらぶら彷徨う)するだけ。「そんなんやってて意味あるんかいな?」と思われますが、これはしかし「解決できない問題」には強いんです。「解決できない問題」は、どれだけ真剣に熱心に取り組んでいても問題解決できませんからww それよりもどうでもいい話をして、問題から意識を遠ざけることで、自然と自分自身を守ることができる。

そうやって「解決できない問題」から離れているうちに、もしかしたら時間的推移によって問題の構造が変容し、変質し、受容できる余地が産まれてくるかもしれない。問題を真っ正面から直接的アプローチによって解決するのではなく、裏やら斜めやら違う角度から眺めているうちに、「あれ?」っと問題のエアスポット(空白地帯)のようなものが見つかるかもしれない…。

今の世の中は「テーマのある対話の場」ばかりで。そうやって対話をしていればどんな問題でも解決できると思っている。ぼくはそこに疑問なんですな。世の中をよく眺めてください。むしろ、この世の中は「解決できない問題」ばかりやないですかね??

まわしよみ新聞ってのは、お茶会的な、「逍遙する対話の場」です。問題は解決しません。しかし、問題だらけの人生を、時代閉塞な世の中を、ぶらぶら彷徨いながらでも、生き抜いていこうという優しい知恵が内包されてます。一度やってみてください。なかなかよくできた対話のデザインをしてますよww